異様にツイてる駆逐艦「雪風」のヒミツ 旧海軍屈指の強運はいかにしてもたらされた?

旧日本海軍の駆逐艦「雪風」といえば、数々の修羅場をくぐり抜けたにもかかわらず、ほとんど損傷らしい損傷を受けることなく終戦を迎えた超絶強運で知られる艦です。やはり、そこまでの運を呼び込むだけの、それらしい背景がありました。

「雪風」は沈まず!

 太平洋戦争において、旧日本海軍は実に多くの艦艇を喪失しました。そうしたなか、激戦をくぐり抜け生き残り「不沈艦」「強運艦」などと呼ばれた艦艇も何隻か存在します。無論、そうした「不沈」「強運」と称揚される艦艇でも、程度の差こそあれ大抵は損傷しドック入りなどしているものですが、一方で数々の海戦に参加しながらも、さしたる損傷もないまま終戦まで生き残った艦がいました。聞けば聞くほど常識外れとしか思えない強運を誇るのが、駆逐艦「雪風」です。

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1940(昭和15)年に佐世保で撮影された、旧日本海軍の駆逐艦「雪風」(画像:アメリカ海軍)。

 陽炎型駆逐艦8番艦「雪風」は、1941(昭和16)年12月11日にフィリピン中部のレガスピー攻略戦へ参加したことを皮切りに、謎の多い空母「信濃」の護衛や、太平洋戦争末期には戦艦「大和」の沖縄特攻にも出撃しています。ほか、ミッドウェイやソロモン、レイテ沖など太平洋戦争におけるおもな海戦のほとんどに参加しながら、「雪風」は大きな損傷を受けることなく終戦を迎えました。当時の主力駆逐艦であった甲型駆逐艦(陽炎型、夕雲型)38隻のなかで、唯一の生き残りです。

 戦時中からその強運ぶりは知られており、「強運艦」や「不死身の駆逐艦」、また、ただちに戦闘態勢へ入る初動の速さから「超機敏艦」とも呼ばれていました。1943(昭和18)年11月2日から3日にかけ、南太平洋の現パプアニューギニア島しょ部にあったラバウル泊地が空襲を受けた際、在泊していた日本艦艇のなかで一番早く機関を動かして湾外に脱出した駆逐艦「時雨」は、空襲を予想して最初から湾外に停泊していた「雪風」を見て驚いたというエピソードが知られます。ちなみに「時雨」も「呉の雪風、佐世保の時雨」とうたわれる「強運艦」として有名でした。

【写真】アナログ計器や伝声菅が並ぶ駆逐艦「雪風」のブリッジ内観

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コメント

2件のコメント

  1.  阿川弘之氏は元海軍少尉ではなく、元海軍大尉だったと思いますが?
     雪風は単に「1965(昭和40)年12月16日に退役。そののち解体」ではなく、(日本への返還が決まっていたがその前に)座礁し修理をあきらめ退役、解体。
     その為、舵輪と錨が返還された。のでは?

  2. 寺内艦長が爆弾回避の上手い人だったのは事実のようだけど、それだけで生き残れるものでもない。最後の天一号作戦時の第一遊撃部隊の陣形図が大和ミュージアムにあるから見てみると興味深い事に気づく。ネットでも調べたら出てくるから、雪風が生き残れた理由を色々推理してください。