“超”傑作機? ダグラスDC-8は何がスゴイのか 航空史を塗り替えた「空の貴婦人」 世界初も?
傑作機となったDC-8 実は「世界初」も?
DC-8の試作型は「N8008D」という登録記号(自動車のナンバーに相当)を取得し、同型機製造のため新設され、その後のマクダネル・ダグラス社の主要施設となるロング・ビーチの工場で完成し、そこに設置された空港で初飛行しました。翌1959年9月18日にデルタ航空とユナイテッド航空の国内線に就航。デルタ航空は世界初のDC-8を路線に投入したエアラインと記録されています。
デビュー後のDC-8はシリーズ化が図られ、胴体の延長、初期タイプの「ターボ・ジェット・エンジン」より騒音が低く燃費効率の良い「ターボ・ファン・エンジン」などへのエンジンの更新、主翼の拡張などが実施された派生型が次々に登場。おもに長距離路線を担当する旅客機として、シリーズ累計で556機が製造されました。
翼型やエンジンと主翼の接合部分「パイロン」の設計などは現代の旅客機のスタンダードを作ったともいわれており、華やかな見た目のウラに、旅客機の名門らしい機体デザインの妙があったことも特筆すべきポイントです。
日本国内では、1960年にJALが冒頭のFUJI号を就航させたのを皮切りに、27年間にわたり、DC-8-30、-50、-60の各シリーズで計60機を導入(リース機含む)。国際線(日本アジア航空を含む)はもとより、国内線でも使用され、国内各地で黒い煙を吐き、独特の高音を発し離陸するDC-8の姿を見ることが出来ました。また、DC-8のほっそりとしたルックスは、国内の航空ファンを中心に“空の貴婦人”として愛されています。
ちなみに実はDC-8、「世界初の超音速ジェット旅客機」です。と言っても、「コンコルド」のように、超音速巡航ができるという機体ではありません。同型機は研究のために1961年、カナディアン・パシフィック航空に納入予定の機体を使用して、エドワーズ空軍基地から離陸。急降下中にマック(マッハ)1.012に達し、超音速飛行を果たしたと記録されています。
【了】
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
コメント