【懐かしの国鉄写真】名鉄を見たあとは飯田線を全線乗り通す

廃止間近の遠州鉄道奥山線を訪ねたあと、飯田線を乗り通すために豊橋駅に向かいましたがいったん神宮前まで1往復。名鉄をスナップした後に飯田線に乗車しました。飯田線は旧型国電が当たり前でしたが、車種はバラエティーに富んでいました。

この記事の目次

・豊橋からはいったん神宮前とのあいだを往復
・神宮前では名鉄と市電をスナップ
・辰野からは松本経由で帰京

【画像枚数】全19枚

豊橋からはいったん神宮前とのあいだを往復

 遠鉄奥山線を往復したあと、東海道本線で豊橋に向かいます。この頃の普通列車は静岡運転所の80系が主力で、3M4Tの7連が基本のようでした。

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最初のショットは飯田線のシンボル的な存在といえるクハユニ56004。となりの電動車は旧モハ31のクモハ11形200番代で、この頃はまだ20mのクモハは少なかった(豊橋/1964年3月24日、楠居利彦撮影)。

 豊橋では飯田線のホームで数カットを撮り、同じホームから発着する名鉄に乗換えます。鉄道雑誌でしか見ていなかった「パノラマカー」に初乗り、最前列ではないけど展望席に陣取りました。しかし、雨降りなので前方の見晴らしはいまひとつです。

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平面ガラスで構成された前面は、小田急のNSEより精悍な印象だった。カメラを濡らさないようにしながらシャッターを切り、展望席に乗込んだ(豊橋/1964年3月24日、楠居利彦撮影)。
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パノラマカーの展望席にはネオン管の速度計があった。下り勾配の手前を110km/hでノッチオフしても表示は変わらなかったから、110以上の表示は出ないようになっていたのかも知れない(場所不明/1964年3月24日、楠居利彦撮影)。

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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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