知らぬ間に入れ替わってる!?「青梅街道」「新青梅街道」がややこしいワケ 鬼門の田無
どうしてこんなにややこしくなった?
「青梅街道を走っていたら、いつのまにか新青梅街道を走っていた…」一番起きやすい混乱は、おそらく田無の市街地で起きる、この感覚かもしれません。ややこしくなった背景には、青梅~東京都心の交通容量確保を、この田無を境にして、「都心側は青梅街道の拡幅」「青梅側は新たなバイパス道路の整備」でそれぞれ賄ったからです。
青梅街道の拡幅は、1930年代半ばから進められました。ボトルネックだった中央線を跨ぐ天沼橋の開通は、空襲の影響で戦後しばらくまで遅れたといいます。
一方、田無以西は青梅街道を拡幅するのではなく、青梅への最短距離となる都市計画道路を新設することになりました。それが新青梅街道です。1960年代に都市計画道路として順次進められ、1971(昭和46)年に現在の形に4車線道路が全通。青梅~都心が1本の大動脈で結ばれることとなりました。
さて、話をややこしくしたのは、戦後すぐに都市計画決定された田無~西落合の補助76号線。東京都は主要道路に「通称道路名」を付ける習わしがありますが、この都内の2車線道路にも「新青梅街道」という通称を与えたために、「新青梅街道」には4車線区間と2車線区間が混在することになってしまったのです。
結局のところ、都心から全て4車線の幹線道路を通りたい時は、「田無で青梅街道と新青梅街道が(ほんの少しだけ所沢街道を挟んで)スイッチする」ということさえ頭に入れておけば、看板を見た時も混乱が避けられるかもしれません。
あとは「田無より西側は青梅街道が狭い、田無より東側は新青梅街道が狭い」と覚えておけば、会話の際も混同を防げるでしょう。覚えるヒントとなるのは、「青梅街道駅(西武多摩湖線)の前を走る道路は、地図で見ると、明らかに広い道路ではない」という事実です。
ちなみに、花小金井駅から青梅までをむすぶ都営バスの最長路線「梅70」系統は、全線で青梅街道のルートをトレースしています。大通りは通らず、細道をクネクネと何度も向きを変える運行経路は、かつての旅の情緒を今に伝える貴重な存在です。
【了】
奈良橋で突き当たるのは狭山湖でなく狭山丘陵だと思います。
奈良橋の交差点から湖(だとしたら多摩湖ですが)までは直線距離でも700mほどあり、少なくとも湖に突き当たる感じではないです。