朝鮮戦争支えた国鉄「レッドボール・エクスプレス」とは 日本最大の軍事輸送は“戦後”に
日本が兵站基地になった朝鮮戦争
しかし、朝鮮戦争が始まると状況は一変します。まずは日本国内のアメリカ軍将兵と備蓄された軍需物資を朝鮮半島に送り、さらに日本はアメリカ本国などからの中継拠点となりました。占領下の国鉄は、進駐軍のためにフル稼働することを迫られました。
『鉄道終戦処理史』(日本国有鉄道)によると、北朝鮮軍が侵攻を開始した翌日には、宮城県の陸前山王駅から横浜の瑞穂(埠頭)駅に弾火薬を積んだ貨車14両からなる臨時列車を走らせています。さらに翌々日の27日、第8010鉄道輸送司令部は、朝鮮半島から引き揚げてくる民間人のために汐留貨物駅の3番ホームを開けることを、29日には関門トンネルを含めた全路線で火薬類輸送の制限解除を国鉄(昭和24年に発足した公共事業体)に命じました。
朝鮮戦争勃発から2週間で臨時軍用列車の本数は245本、客車7324両、貨車5208両を要したと記録にはあります。これは太平洋戦争中にもなかったほどの本数で、鉄道省や運輸省の下部組織だった頃も含め、国鉄軍事輸送の最高記録だったそうです。
こうした輸送の結果、アメリカ本国からの増援分もふくめ、7月15日には韓国には概ね6個師団ほどのアメリカ軍兵力が展開しました。しかし勢いに乗る北朝鮮軍の攻勢は押しとどめられず、国連軍(米韓軍主体)は、朝鮮半島南端の釜山を中心にした地域へ押し込められます。もうこれ以上の退却は韓国を失うことになります。8月、「釜山橋頭堡の戦い」で知られる、釜山円陣の戦闘が始まりました。
このような状況で、占領下の日本は、朝鮮半島に対するもっとも近い兵站基地としての機能を負わされたのです。
戦争は物量だよ、兄貴ぃ。