朝鮮戦争支えた国鉄「レッドボール・エクスプレス」とは 日本最大の軍事輸送は“戦後”に

1950年6月25日、北朝鮮軍の奇襲で朝鮮戦争がはじまりました。米韓軍を中心とした国連軍が北朝鮮軍と戦うため、日々消費される膨大な物量を支えたのは、兵站基地となった日本の鉄道輸送網でした。

急行より俊足!? 貨物列車レッドボール・エクスプレス

 レッドボール・エクスプレスに使用された貨車は戦前に「宅扱い便(駅から配送先まで一貫して届ける便)」用の急行貨車として製造されたワキ1形、または1949(昭和24)年から製造が開始されたワキ1000形でした。前者は25トン積みで最高速度(牽引速度)85km/h、後者は30トン積みで時速75km/h。これに貨車と車掌車を兼ねるワムフ1(15トン積み)かワムフ100(15トン積み)を付けて列車を組みます。

 史料から復元するとワキ1形で編成された場合は14両+ワムフで365トン、ワキ1000形で同じく14両435トンでした。当時の貨物列車はD51蒸気機関車を使用した場合800から900トン程度の貨物を牽引できましたから、この数値からも速度を重視していたことがわかります。おそらく積荷は緊急性の高い、小銃、機関銃、迫撃砲弾薬に医療品、携帯口糧、ドラム缶に入れた車両用燃料が主体だったと思われます。

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ワキ1形とワキ1000形(イラスト:樋口隆晴)。

 さて、レッドボール・エクスプレスは、23時30分に東横浜駅を出発、いったん鶴見まで北上し、そこから東海道本線~山陽本線~鹿児島本線~長崎本線~佐世保線を経由して翌々日の5時42分に佐世保へ到着。その後は12時30分に佐世保出航、翌日4時に釜山に到着というダイヤが組まれていました。

 レッドボール・エクスプレスの所要時間は佐世保まで28時間12分です。この頃の時刻表を調べると、1952(昭和27)年から限定的に日本人が利用できるようになった東京発佐世保行きの急行連合軍特別列車が28時間22分、1956(昭和31)年11月から走るようになった東京発佐世保行きの急行「西海」が24時間37分で佐世保に到着していたので、レッドボール・エクスプレスが貨物列車としていかに速かったかがわかります。この列車が、貨物の多い日には3本出発することもあり、また出発駅も浜川崎や新興(横浜市神奈川区、廃止)からの便がありました。

 その後、アメリカ軍の仁川(インチョン)上陸で戦況が好転すると、レッドボール・エクスプレスは隔日出発となりましたが、この列車こそが釜山円陣を支えた陰の功労者であり、また“巨大兵站基地”日本の血管となった国鉄の象徴ともいえるでしょう。そしてこの朝鮮戦争の特需を契機として、日本は戦後復興への道を歩み始めるのです。

【了】

【朝鮮戦争の物資は「みなとみらい」から】「横浜の貨物駅群」地図で見る

Writer:

1966年東京生まれ、戦車専門誌『月刊PANZER』編集部員を経てフリーに。主な著書に『戦闘戦史』(作品社)、『武器と甲冑』(渡辺信吾と共著。ワンパブリッシング)など。他多数のムック等の企画プランニングも。

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コメント

1件のコメント

  1. 戦争は物量だよ、兄貴ぃ。

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