「真珠湾で日本がハワイ占領していたら…」が絶対にムリだったワケ 旧海軍も頭を抱えた力の差

たくさんあり過ぎなハワイの飛行場

 ハワイ諸島に上陸作戦を行うなら、ほぼ無防備な輸送船団をハワイまで無事に辿りつかせる必要があります。前述したように要塞砲の無力化は困難ですが、それにも増して航空戦力の無力化はより困難だったといえるでしょう。 

 オアフ島に限定しても、航空基地は陸軍所属3か所、海軍所属4か所、海兵隊所属1か所の計8か所あります。アメリカ軍は旧日本海軍の真珠湾攻撃で347機を失っていますが、なお75機が健在でした。また、ハワイ近海にはアメリカ空母2隻が行動中で、この航空兵力も無傷でした。真珠湾の艦艇も巡洋艦以下は健在でした。

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太平洋戦争末期の沖縄戦で物資を陸揚げ中のアメリカ輸送艦艇(画像:アメリカ海軍)。

 1942(昭和17)年から始まったガダルカナル島の攻防戦では、旧日本海軍が戦艦によってアメリカの飛行場を砲撃していますが、完全破壊することはできず、砲撃後に飛び立った少数機による空襲でも、日本側は輸送船団に大損害を被っています。

 日本空母は航続力の関係で、ハワイ近海に史実以上に留まるのは困難でしたから、ハワイの航空兵力を無力化することは、極めて難しかったでしょう。加えて、オアフ島にはレーダー基地が6か所設けられており、開戦時にほぼ奇襲となった第一撃以外は、日本側兵力の接近は確実に対応されたはずです。

 開戦時でも航空兵力の無力化が困難であったことから、ミッドウェー海戦に勝利した後ではさらに困難を極めることは間違いありません。実例を出すと、1943(昭和18)年11月から始まった南部太平洋ブーゲンビル島の戦いのなかで、アメリカ軍は密林を3週間程度で航空基地に変えています。それから鑑みると、仮にミッドウェー島を日本が占領したならば、その後、アメリカ軍はハワイ占領の危機感から、同諸島の平地に短期間で多くの航空基地を開設すると考えられます。

 2022年現在、ハワイ諸島には民間空港を含めて、19か所の飛行場があります。最低でもその程度の数の滑走路を同時に破壊しなければ、制空権を確保できないといえるでしょう。

 なお、アメリカは1942(昭和17)年中に護衛空母を8隻就役させているため、仮にミッドウェー海戦で日本がアメリカの正規空母を3隻すべて撃沈できたとしても、戦闘機などの小型機はアメリカ本土とハワイの間でピストン輸送可能です。大型爆撃機については航続距離が長いため、直接、本土から空輸されるでしょう。

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