幾度となく主力艦を護衛 駆逐艦「磯風」進水-1939.6.19 最期は「雪風」による“介錯”

戦艦「大和」とともに沖縄へ…

 数々の激戦を生き抜いてきた「磯風」でしたが、1945(昭和20)年4月、水上特攻を下令されます。沖縄に上陸したアメリカ軍に対し、座礁させ砲台化した艦から砲撃を加えるという作戦でした。これには戦艦「大和」も含まれていました。

 5日、「磯風」「大和」ほか軽巡洋艦「矢矧」と駆逐艦から成る艦隊は沖縄へ向けて出撃。しかし翌日にはアメリカ軍の潜水艦によって動向が察知され、攻撃を受けるのは時間の問題となりました。ただ、この日は交戦することなくそのまま翌7日を迎えます。

Large 220228 sztk 02

拡大画像

1945年4月7日、沖縄へ向かう途中でアメリカ軍機の空襲を受ける軽巡洋艦「矢矧」。「磯風」はこの後「矢矧」への横づけを試み、至近弾を受ける(画像:アメリカ海軍)。

 正午過ぎ、沖縄近海のアメリカ軍空母が発進させた艦載機の大編隊が襲来、艦隊は猛攻にさらされます。早くも被雷し航行不能となった「矢矧」を救助しようと「磯風」は横づけを試みますが、至近弾によりこちらも航行不能に。「磯風」は「矢矧」「大和」沈没後も洋上を漂っていました。

 さらなる敵の攻撃を懸念し、日没後「磯風」は味方艦による処分が決定します。生存者を駆逐艦「雪風」に移乗させると、同艦は満身創痍の「磯風」を砲撃。深夜、鹿児島県の坊ノ岬沖約200kmの地点に没しました。

 ちなみに、全部で19隻あった陽炎型駆逐艦のうち終戦を迎えたのは、「雪風」ただ1隻のみでした。

【了】

【写真】「磯風」から撮影された沈没間際の戦艦「武蔵」

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。