核実験で艦艇の在庫一斉処分? ビキニ環礁の実験はなぜ行われたか 日本艦も“的”に

不要な艦艇をまとめて標的に

 実験に先立ち、終戦で余剰になったアメリカ海軍の旧式艦艇を中心に、95隻がビキニ環礁へ集められました。アメリカの艦艇は大半が上陸用舟艇でしたが、ほかにも有名どころとして、大型空母「サラトガ」、軽空母「インディペンデンス」、真珠湾攻撃で大破後に復活した戦艦「ネヴァダ」や「ニューヨーク」「アーカンソー」「ペンシルベニア」、重巡洋艦「ペンサコラ」「ソルトレイクシティ」がありました。そして、これに戦艦「長門」と軽巡洋艦「酒匂」、ドイツの軽巡洋艦「プリンツ・オイゲン」が加わっています。

 アメリカは戦争のために大量の艦艇を建造しました。戦後、一部の護衛空母(小型空母)や駆逐艦などはオランダやカナダ、ブラジルなどの西側諸国に供与されています。しかし、多くはスクラップとして売却されるか、標的艦として新型の魚雷や爆薬のテストに使われました。つまり、ビキニの原爆実験は余剰な艦艇の在庫一掃処分という側面があったといえるでしょう。

Large 220801 crossload 02

拡大画像

1946年7月1日にビキニ環礁で行われた1回目の原爆実験(画像:アメリカ議会図書館)。

 コードネーム「エイブル」と呼ばれた1回目の実験では、原爆をB-29爆撃機から投下しています。対して2回目の実験「ベーカー」では水中で、翌1947(昭和22)年に行われるはずだった3回目の実験「チャーリー」では、さらに深い水中で爆発させる計画でした。ビキニの原爆実験としてよく紹介される写真は2回目「ベーカー」のときに撮られたものです。

 実験で使用された原爆は、長崎に投下されたプルトニウム型マーク3でした。なお、広島のウラニウム型はマーク1が正式名称です。

 2回目と3回目の実験で実施された水中爆発は核爆雷を想定したものでした。1950~60年代の核開発では、爆弾だけでなく、核魚雷や核砲弾、核地雷、さらに核弾頭を搭載した無反動砲弾など、多様な戦術核兵器が研究・開発されていたからです。

【写真】核実験の標的となった大戦中の各国艦船ほか

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。