夜間戦闘機「月光」の数奇な人生 斜め銃 レーダー装備で夜に活路 B-29撃墜のエースも

旧日本海軍唯一の制式夜間戦闘機が「月光」です。B-29爆撃機などの迎撃に用いられましたが、最初から夜間戦闘機として開発されたわけではありません。当初、不採用になるものの使われ続けた戦闘機とはどんなものでしょう。

不採用からジョブチェンジで一転して採用へ

 当初、想定された場所や用途などとは異なるところで、思いもよらず活躍するというのは、まま見受けられます。たとえば、太平洋戦争中に旧日本海軍が用いた夜間戦闘機「月光」はまさにそのような機体で、同機は2度も使い方が変わっています。

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旧日本海軍で唯一の夜間戦闘機であった「月光」一一型。

「月光」は、最初から夜間戦闘機として開発されたわけではなく、当初は味方爆撃機に随伴して長時間飛行する、長距離護衛戦闘機として設計されました。1941(昭和16)年3月に「十三試双発陸上戦闘機」として完成しますが、先んじて運用されていた零式艦上戦闘機(零戦)のほうが護衛戦闘機として優れていたため、最終的に不採用になります。

 こうして、いったんは消えかけますが、長い航続力と頑丈な機体、自衛戦闘可能な武装を持つ点から、太平洋戦争勃発後の1942(昭和17)年7月に「二式陸上偵察機」として復活します。ただし零戦よりも鈍重だったため、戦争が激しくなると大きな被害を被るようになり、結局、偵察機としても使われなくなりました。

 一方そのころ、南太平洋の最前線では、アメリカ軍のB-17やB-24といった大型爆撃機をいかに迎撃するかが課題になっていました。被弾しても墜ちにくく、いくつもの銃座を機体の前後左右に配置していたアメリカ製爆撃機に日本側は手を焼いており、そこで偵察機として使えなくなった二式陸上偵察機に「斜め銃」を搭載し、試作迎撃機に仕立て上げます。

【写真】第2次大戦末期に富士山上空を飛ぶB-29

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