「陸羽西線」踏んだり蹴ったり? 道路建設で2年運休 代行バスは倍の2時間 なぜこうなった?

陸羽西線「ルートとしての伸び悩み」? 新幹線との接続を活かせず

 陸羽西線の運休から2か月後の2022年7月、JR東日本は管内ローカル線の収支状況を公表。同線はそのなかでもかなり厳しい「平均通過人員が1日500人未満の区間」であることが明かされ、自治体が危機感を募られていると報じられました(7月29日山形新聞など)。

 このように陸羽西線が全線に渡って伸び悩む理由として、「そもそも移動ルートとしての価値が落ちている」ことが挙げられます。

 最上川沿いのこの動線は、江戸時代には山形平野から酒田港、そこから北前船で日本列島を半周して各地に米を運ぶ舟運の重要なルートでした。江戸や近畿との交流も盛んで、清川村(陸羽西線・清川駅周辺)出身の志士・清河八郎がのちの「新撰組」の源流となるなど、幕末の歴史にもその名を残しています。陸羽西線も戦後には上野から酒田行きの夜行急行「出羽」が走るなど、首都圏や山形内陸部(置賜・最上地方)と庄内地方をつなぐルートとして機能していたのです。

 しかし現在、庄内地方を発着する移動は、羽田からの空路や上越新幹線・羽越本線経由の鉄道ルート、そして仙台方面の高速バスや自家用車などが担っています。山形新幹線が1999(平成11)年に新庄まで到達し、首都圏~山形県の移動手段として鉄道が85%のシェアを得た際も、新庄駅で接続する陸羽西線は、運休の多さや本数の少なさもあり、利用が大きく増加することはありませんでした。

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国道47号は路肩もかなり狭い(宮武和多哉撮影)。

 道路事情もあって陸羽西線にぴったり並行する高速バスなどはなく、山形~庄内地方の移動も月山道路(国道112号バイパス)がメインです。道路・鉄道ともに災害が多い新庄~庄内地方ルートそのものの存在感は、徐々に薄れていったと言えるでしょう。庄内地方の各自治体は、陸羽西線のミニ新幹線化を目指すべく活動を続けていましたが、2021年に期成同盟が解散しています。

 1987(昭和62)年の時点で2000を越えていた陸羽西線の輸送密度(1日あたりの平均乗車数)は、2020年には163、つまり30年間で7%まで落ち込んでいます。かねてからの懸案であった道路事情が「新庄酒田道路」の整備で改善が見込まれるなか、2年後の復旧を見据えた陸羽西線をどのように活用していくか、具体的な検討が求められています。

※一部修正しました(8/31 14:30)

【了】

【地図】「陸羽西線」を運休して建設する「新庄酒田道路」 画像で見る

Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)

香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。

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