「宇高連絡船」34年ぶり復活に地元が沸いたワケ 急行「鷲羽」と接続 蘇った特別な航路
なぜ「宇高航路」は特別なのか?
今回のイベントは船や鉄道を好きな人だけでなく、かつて連絡船を利用していたという人や、ご高齢の方もかなり目立ちました。当時を知る岡山県・香川県の人々にとって、宇高航路や連絡船そのものが特別な存在でもあるのです。
約1時間で移動できるこの航路は、本州~四国の最短海路でもあり、宇高連絡船の廃止後も「本四フェリー」「宇高国道フェリー」「四国フェリー」など民間事業者によって、最盛期には24時間、合計で1日約150往復もの旅客船が往来していました。その後各社の撤退が続き、2019年に四国フェリーが運航を休止したことで定期旅客船は消滅。今回のリバイバル運航で、不夜城のような賑わいを見せていた宇野港・高松港を懐かしむ人もいました。
その中でも、鉄道と接続した宇高連絡船は、四国から大阪・東京などへの出張・上京によく使われていたことから、ことさら思い出に残っている人も多いことでしょう。
連絡船は民間航路に比べて定期利用は極端に少なかったものの、他の四国3県からの長距離列車が高松駅に集中し、国鉄が運営する連絡船は鉄道との連絡をほぼ一手に引き受けていました。テープや銅鑼の音に見送られて高松港から故郷を後にしたり、その家族や友人を見送ったりと、人生の一大トピックスをここで経験した人も少なくありません。
宇高連絡船は廃止前には多くのメディアに登場し、その中でも日本テレビ「ズームイン!朝」は、アイドルを目指す少女が間もなく廃止になる連絡船で故郷をあとにする様子を生中継、ドラマチックな出会いと別れがある連絡船の存在を改めて知らしめました。
その時に家族に見送られて涙ながらに上京した松本明子さんの、その後数年での激動期はあえて触れませんが、当時リポーターをされていた方は「みんな『あの連絡船の中継の時は!』って言うてくれるんや」と、お会いした際に仰っていました。
多くの人々の思い出とともに残る連絡船、またリバイバル運行が行われるかもしれません。
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Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)
香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。
でも、うどんやろが。
急行「鷲羽」のヘッドマークを付けた電車が3ドア近郊型なのが残念。せめて3000番台を使えればどんなに良かったことか。