なぜタイに?「九九式高等練習機」保存機 戦前の大量生産機 日本じゃ1機も現存せず
なぜタイに? 輸出されていた日本の兵器
九九式高等練習機は1939(昭和14)年に制式化され、1943(昭和18)年までに立川航空機で1075機、川崎重工業の前身の一つである川崎航空機で311機、合計1386機が生産されています。
生産された機体の大部分は旧日本陸軍の飛行学校で運用されましたが、当時の満州国とタイにも輸出されました。事実上日本の傀儡国家であった満州国はともかく、なぜタイ空軍が導入したの? と思う方も少なくないのではないかと思います。
当時のタイはフランス領インドシナ(現在のベトナム人民共和国)と領土問題を抱えており、1893年の仏泰戦争で割譲した領土の奪還を目論んでいました。フランスが1940年6月にドイツ帝国へ降伏したのを好機と見たタイは、同年11月にフランス領インドシナ南部へ侵攻し、いわゆるタイ・フランス領インドシナ紛争を引き起こしています。
この紛争は当時の日本政府の仲介により終結し、タイは領土の回復に成功しています。これを機にタイは日本との軍事的な関係を強め、太平洋戦争開戦の1941年12月8日に日泰攻守同盟条約を締結、日本の同盟国となりました。
これにより、アメリカ、イギリスなどからの兵器の輸入が不可能となったタイは、日本からの兵器の導入を進めました。九九式高等練習機の輸出はその一環として行われています。
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