撃墜パイロットはどう救出された? 日本に墜ちた米兵士を助けに行った低速機 砲弾の嵐の中
青森・陸奥湾でも際どい任務
その後、アメリカの空母部隊は終戦直前の1945(昭和20)8月9日に東北から北海道にかけて大規模な大空襲を実施。そのなかには大湊が含まれていました。
空母「タイコンデロガ」「エセックス」「ランドルフ」から出撃した攻撃隊による爆弾とロケット弾、機銃掃射で、大湊港にいた敷設艦「常盤」と駆逐艦「柳」が大破擱座しています。
このとき、貨物船に急降下爆撃したF4U「コルセア」戦闘機1機が、退避中にエンジン停止となり、警備府の南8kmの陸奥湾に不時着水しました。パイロットのコーンビー中尉は救命ボートを使って脱出。陸地に明かりが見えたので浜(現在のむつ市中野沢付近)までたどり着き、線路(大湊線)近くの森にゴムボートを隠して一夜を敵地(日本)で過ごしました。
午前6時、眠りについていたコーンビー中尉は飛行機のエンジン音で目を覚まします。前日に彼が脱出するのを目撃した仲間のF4U「コルセア」が救出に来たのです。彼は緊急キットにあった銃を撃ち、スカーフを振って僚機に合図しました。
彼の生存を確認したF4Uは位置を報告。これにより昼の12時頃、「エセックス」から3機のF4Uと1機のF6F、さらに戦艦「ノースカロライナ」を発進した2機のOS2U「キングフィッシャー」からなる救出部隊がコーンビー中尉の頭上に到着します。
彼が浜に出たとき、F4Uの1機が、投下しようとした救命ボートが絡まりバランスを崩して機体ごと海面に激突してしまいます。
太平洋戦争でのアメリカのエンジンが一つの水上機は、当時の日本海軍の水上機より性能的には劣るというような話しも一部はミリタリー雑誌やミリタリー本にはありますが、当時は日本の敵対国であったアメリカ側からすれば、意外と活躍していたんですね!
アメリカ側のキングフィッシャー水上機、私もミリタリーファンとして、機会あれば調べてみます。
ミリタリーファンとして、この記事は参考になりました。ありがとうございました。
日本近海で潜水艦が浮上して搭乗員を救助してたわけだからそんな不思議なことじゃない