ある意味異形!? 軍用機の名門「マクドネル」が生み出した世界に1機のビジネスジェットとは
一時は「アメリカの航空会社の王」と契約も…
マクドネル社は型式名を「119」から、「220」に変更し、当時アメリカの航空業界における一大航空会社であった「パンナム(パンアメリカン航空)」へ売り込みをかけ、170機リースをするという暫定的な受注も獲得しました。
ちなみに型式名を119の次の番号である「120」ではなく、「220」という名称としたのは、マクドネル社が1939年に飛行機メーカーとして事業を開始して20年経過しており、次の20年を目指すといった意味合いがあったとか。
マクドネル119/220は1959年、初飛行に成功。翌1960年には実用化に重要なプロセスのひとつであるFAA(連邦航空局)の型式証明も取得し、順調に実用化へ向け進んでいるように見えました。
ただ、ここで社長であったマクドネル氏がこのモデルの開発中止を決定します。これは開発費の懸念やパンナムとの暫定受注が失注となってしまったことが一因とされています。こうしてマクドネル社唯一のビジネス・ジェット機の出現は幻に終わりました。
結局、マクドネル119は、試作機1機だけしか製造されずに計画中断となりました。その後、マクドネル社は民間旅客機部門を持つダグラス社と合併。マクドネル・ダグラス社として、待望の民間機を世にだすことになったのです。
【了】
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
コメント