香川の交通は全て「うどん店」に通ず!? ブームの裏に切実な課題 象徴「うどんタクシー」で巡る
うどんブームとともに充実した香川県の「二次交通」
香川県内のうどん店の営業形態は「ネギは表の畑から取って自分で切る」「野菜を『これ揚げていた』(方言で『これを揚げてください』の意)と渡したら適当に天ぷらにしてくれる」など、製麺所の併設店を中心として多様性に溢れていました。
そうした各店の特徴は近所では当たり前と思われていても、隣町ですら知られていない場合も。高松市内では昭和50年代頃まで、専業のうどん店は駅前などに限られ、外で食べるには「製麺所の卸し先である食堂や喫茶店に行く」ことが基本でしたが、そういった店がない地域では「製麺所の軒先でちょっと食べさせてもらう(丼持ち込みの場合も)」ケースが多く見られるなど、多様なまま営業を続けていました。
しかし1988(昭和63)年に「タウン情報かがわ」で連載を開始した「ゲリラうどん通ごっこ」で、どう見ても観光地仕様でないこれらのお店巡りは、究極の体験型観光として一躍脚光を浴び始めます。当時は黎明期であったインターネットを介して口コミが急増し、各店は東京から新幹線代を払ってでも120円のうどんを何軒も回るような人々で一杯に。こうした急激なブームの過程は2006年公開の映画「UDON」(本広克行監督)にも描かれています。
ただ、多くのうどん店・製麺所の営業は元より近所の限られた人に向けたもので、突然有名店となった店舗の周りには、駐車できなかった車両が何十台と列を作るなどの事態が続出することに。この問題をクリアできず、繁盛店のまま閉店を余儀なくされたケースもあります。
しかし、香川県の路線バス網はこの時点でほぼ崩壊しきった状態で、“うどん巡礼”にクルマはまず必要なもの。また当時は瀬戸大橋の通行料金が現在よりもはるかに高かったこともあり、現地で乗り換えるレンタカーの整備が進み、さらにはハンドルを握らずうどん店を巡れる「うどんタクシー」や観光バスが必要とされてきたのです。ご当地グルメブームが、既存の交通機関に接続する「二次交通」の整備を強力に後押ししたという稀有な例とも言えるでしょう。
なおその後、香川県では画家の東山魁夷氏や彫刻家イサム・ノグチ氏といった芸術家との縁が深かったこともあり、「さぬきうどん」に次ぐ施策としてアートに力を入れることに。現在では「瀬戸内国際芸術祭」として、立派に実を結んでいます。
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Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)
香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。
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