空母「瑞鶴」進水-1939.11.27 真珠湾からレイテまで、機動部隊を支えた大型艦

映画公開時、「瑞鶴」はすでに存在せず

 ただマリアナ沖海戦では「翔鶴」に加え、最新鋭だった重装甲空母「大鳳」も沈没。航空機のほかパイロットも多数失い、日本の海軍空母部隊は壊滅状態に陥りました。「瑞鶴」も無傷では済まず損傷し、本土へ帰還しています。

 戦局が悪化の一途をたどる1944年9月、映画会社の東宝が開戦3周年を記念した映画『雷撃隊出動』を製作します。「瑞鶴」はロケに参加。零戦や艦上攻撃機「天山」を搭載する様子などが収録されました。

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映画『雷撃隊出動』のひとコマ。発艦した艦上攻撃機「天山」の後部座席から「瑞鶴」を見る。

 それから1か月。「瑞鶴」は史上最大の海戦とも称されるレイテ沖海戦に参加します。フィリピンを攻略しようとレイテ島に上陸してきたアメリカ軍に対し、「大和」を含む戦艦部隊がレイテ湾に殴り込みをかけるという作戦でした。このため、特に空母機動部隊が“囮”とされました。

 10月25日午前、「瑞鶴」はフィリピン・ルソン島のエンガノ岬沖でアメリカ軍の空襲を受けます。飛行甲板に爆弾が命中し火災が発生、さらに魚雷も受け浸水が始まります。午後にかけ攻撃は続きますが、大型空母は格好の標的になりました。損傷し回避行動もままならない「瑞鶴」に、次々と魚雷や爆弾が命中。随所で火が上がり戦死者も増大し、もはや対空機銃すら撃てなかったといいます。

 14時過ぎ、浸水により傾いていった「瑞鶴」はついに沈没。一連の海戦で日本は空母4隻、ほか艦艇も多数失い、海軍機動部隊は事実上、壊滅したのでした。

 ところで、9月にロケ協力した『雷撃隊出動』が、太平洋戦争開戦3周年にあたる同年12月7日に公開されました。しかしこの時すでに「瑞鶴」は存在しません。ただ「瑞鶴」は映画含め比較的多くの記録(写真など)が残っています。それは生きながらえた証でもあり、ゆえに「瑞鶴」は「武勲艦」「幸運艦」といわれています。

【了】

【写真】沈みゆく「瑞鶴」の甲板で万歳三唱する乗組員ら

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コメント

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2件のコメント

  1. 今更ながら、大和・武蔵の建造を中止して、この瑞鶴・翔鶴級空母を4隻建造していたら、、、歴史はどう変わっていたか、、、、

    • 沈む戦艦が2隻減り沈む空母が4隻増える