赤レンガの東京駅はなぜ“高層ビル”にされなかったか 保存復元の裏のカラクリ「空を売る」
まさに“魔術”な空中権売却 東京駅のための新制度も
容積率は敷地面積に対する延べ床面積の割合で、容積率が2倍に緩和されれば、同じ敷地でも延べ床面積当たりの地価は2倍に換算できます。地価というと通常、敷地面積当たりの価格を指しますが、不動産業界では地価の高い都心再開発については延べ床面積当たりの地価を基準にします。つまり容積率が2倍になれば、地価は実質2倍になるという“魔術”とも言えるのです。開発側は容積率が緩和されたぶん、より高層なビル、より多いオフィスなどが確保でき、賃料収入を多く得られます。
現実の問題として容積率の緩和策が表面化したのは、1999(平成11)年9月、「東京駅周辺における都市基盤・誘導方針検討調査委員会」(座長=慶應義塾大学教授・依田和夫)の緊急提言を受けた形で9月28日に行われた、都知事・石原慎太郎と松田との会談です。10月1日、石原はレンガ駅舎を復原するとともに、行幸通りの景観整備、東京駅前広場空間の再整備などで合意したと発表しました。続いて同5日、松田は定例会見で「事業費は300億~500億円」と保存・復原費用にまで踏み込みます。
保存・復原の財源策も具体的に動き出します。八十島委員会の容積率移転提案を受け、東京駅のためにわざわざ法制化したのが「特例容積率適用区域制度」です。同制度は2001(平成13)年5月、歴史的建造物の未利用の容積率を活用し、建造物の保存と土地の高度利用を図ろうというもの。「大手町・丸の内・有楽町地区(大丸有地区)」の指定区域内であれば、離れていても容積率移転が可能という融通無碍の新制度です。空中権を売ったJR東日本、買った三菱地所、さらには認可した都も得をします。政官民一体の「打ち出の小づち」政策の象徴的制度として誕生したのです。
翌2002(平成14)年1月、駅舎保存・復原、駅前広場整備、特例容積率適用区域制度の活用などを骨子とする報告書が、都の委員会から提出されました。これを受けて、翌月には松田の後任となった3代目JR東日本社長・大塚陸毅と石原が会談し、合意、調印します。ここに至って、駅空間創造の潜在力が法的な裏付けをもって市民権を得ることになるのです。
生前の松田昌士氏から空中をちぎっては投げ
資金を獲得し予算を一銭も使わず、東京駅の復元を実現したと、何度も伺いました。改めて、松田会長の偉業に感銘を覚えています。
NN