「コンコルドに勝ったぞ!」世界初の超音速旅客機とは? 快挙から転落もライバル国に拾われる

初飛行に成功したのにトホホ機に?Tu-144のその後

 ソ連にはいくつか航空機メーカーの役割を担う企業がありましたが、同国は超音速旅客機の開発をツポレフ設計局に依頼します。これは過去に、超音速飛行が可能な爆撃機Tu-22を開発していたことからでした、

 ただ、国の威信をかけて開発したものの、Tu-144はパリショーなどで2機が事故で損失。実用化にもこぎつけたものの、運航期間は3年ほどでした。

 最初の超音速飛行を含む便は、1975年12月26日に、モスクワ~カザフスタン間で始まりましたが、実はこれは、旅客便ではなく、郵便物運搬などを目的とする貨物便でした。また運航期間を通して、ほとんどのフライトは貨物便としてであり、旅客機としての就航は「コンコルド」が先。Tu-144の旅客機としての飛行回数は、100回程度に留まりました。

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ライバル機である「コンコルド」(松 稔生撮影)。

 こうして1983年にソ連はTu-144の開発を中止。ところがその後、ちょっとユニークな後半生を送ります。かつて対立していたアメリカを本拠とするNASA(アメリカ航空宇宙局)がこの機を引き取り改造し、次世代の超音速旅客機研究用のテスト機に用いることになったのです。この改修機はロシア語で飛行実験室を意味する「LL」が型式末尾についたTu-144LLとして、1999年に超音速でのテスト飛行が実施されています。

 実は「コンコルド」とTu-144の生産機数は、ともに16機となっています。その一方で初動こそTu-144が勝ったものの、「コンコルド」は1976年から2003年まで超音速飛行を用いた営業運航を継続しました。もしかするとTu-144は、「急ぎすぎた革新的な民間機」といえるのかもしれません。

【了】

【機首に翼生えてる】「コンコルド」と一目瞭然! カナードを広げたTu-144

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コメント

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1件のコメント

  1. 致命的な欠陥、大物のTi材で機体を作った。そのTiが強度が低くしかも大物板で亀裂が出たら止める手段がなく大変危険な機体、ってことは触れたほうがいい事の一つとおもいます。
    うるさすぎて、機内で、隣同士でも会話が出来なかったとかまあ、旅客機と呼べない代物だった様ですね。