さらば「74式戦車」 西日本屈指の“赤獅子”戦車部隊もまもなく廃止へ どう生まれ変わるのか

今津駐屯地の主力 74式戦車とは?

 この74式戦車は、61式戦車の後継として1974(昭和49)年に制式採用された戦後第2世代の国産戦車で、現在陸上自衛隊の主力である10式戦車からは2世代前、90式戦車からでも1世代前のやや古い戦車となります。そのため現在では国内の戦車部隊から続々と退役が進んでおり、西日本ではこの今津駐屯地と岡山県日本原駐屯地の第13戦車中隊でしか見られなくなっています。

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74式戦車とともに観閲行進を行う第3戦車大隊の16式機動戦闘車。砲塔側面には白い「三」と赤いライオンからなる同大隊マークが見える(吉川和篤撮影)。

 しかし、半世紀ほど前の開発当初は、新機軸を盛り込んだ世界レベルで見ても遜色のない性能を持っていました。たとえば起伏に富んだ日本の地形に合わせて油気圧式サシペンション(ハイドロニューマチック)を採用しており、これにより車高を上下に各20cm変える事が可能で、さらに車体全体を前後に6度、左右に9度傾けることができました。

 これにより、丘などの稜線から砲塔(主砲部分)だけ出した待ち伏せ砲撃が容易に行えるようになり、日本の地形を生かした戦闘が可能だとして、この姿勢制御装置は後の90式や10式戦車にも受け継がれていきます。

 またカニの甲羅を思わせる丸みを帯びた偏平なデザインの砲塔は、敵の砲弾をそらして弾きやすい、いわゆる避弾経始に優れたもので、当時としては高い防御力を有していました。主砲のイギリス製L7系51口径105mmライフル砲は、90式戦車や10式戦車の120mm滑腔砲には劣るものの信頼性は高く、現に16式戦闘機動車の52口径105mmライフル砲もこのL7系戦車砲を発展、国産化させたもので、74式戦車と砲弾の共用が可能です。

 こうした性能を持っていたからこそ、74式戦車は配備開始から20年以上に渡って日本の主力戦車としての地位を務めることができたといえますが、やはり開発から50年近く経過し、老朽化・陳腐化していることは否めません。またロシアのT-72戦車のような性能向上のための近代化改修も行われなかったため、“老兵”は静かに消えていく運命になったといえるでしょう。

【これで見納め】最後の披露 第3戦車大隊「冬期迷彩」&「多用途迷彩」の74式戦車

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