さらば「74式戦車」 西日本屈指の“赤獅子”戦車部隊もまもなく廃止へ どう生まれ変わるのか

大隊廃止とともに消える真っ赤な部隊マーク

 今津駐屯地の第3戦車大隊は、自衛隊の前身である警察予備隊時代の1952(昭和27)年9月に新編された今津特別訓連隊が源流となっています。その後、1954(昭和29)年に陸上自衛隊が発足すると、同年10月の第3特車(当時は戦車を特車と呼んだ)大隊への改編を経て、1962(昭和37)年1月に現在の第3師団隷下の第3戦車大隊へとなりました。

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16式機動戦闘車の砲塔側面に描かれた第3戦車大隊のマーク。部隊改編にともない、このマークも廃止されて新しい部隊マークが描かれる(吉川和篤撮影)。

 当初はアメリカから供与されたM24軽戦車を装備しており、後に61式戦車の配備を経て、現在のような74式戦車の運用へと行きついています。ちなみに、部隊規模は現在でこそ大隊本部の指揮下に本部管理中隊と2個戦車中隊という編成ですが、過去には最大4個戦車中隊まであったこともあり、その頃は今の倍近くの戦車を保有していたようです。

 なお部隊マークは、昔は琵琶湖を描いたりしたこともあったようですが、現在は「三」を示す3本の白線に、咆哮する赤いライオンを組み合わせたデザインのものが使われています。

 このように伝統ある第3戦車大隊も、前述したように2022年度末に廃止されて、名称とともに部隊マークもが消えることが決まっています。ただ、こうした戦車部隊の再編成の動きは日本各地で始まっており、関東では首都防衛の要である第1師団の改編にともない、2022年3月にはやはり師団唯一の戦車部隊であった第1戦車大隊が廃止となり、同じく廃止された第1偵察隊と統合。東京と埼玉の都県境にまたがる朝霞駐屯地で、16式機動戦闘車を主力装備とした第1偵察戦闘大隊が新編されています。

 第3戦車大隊と入れ替わる形で、今津駐屯地に誕生する偵察戦闘大隊も同様に16式機動戦闘車を主力装備とすることが決まっていることから、どんなデザインの新部隊マークが用いられるのか、今から想像するのも一興でしょう。

【了】

【これで見納め】最後の披露 第3戦車大隊「冬期迷彩」&「多用途迷彩」の74式戦車

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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