歴史に幕「ジャンボ機」知られざるもう一つの功績 国内空港の「現在」を作った張本人?
最終号機の引き渡しが行われ半世紀以上の歴史に幕を下ろした「ジャンボ機」。実はこの機の出現は、多くの国内空港における設備の発展に大きな影響を及ぼしていました。どのような関連性があるのでしょうか。
かつてはほとんどの空港で「747はNG」
2023年1月31日に最終号機の納入式が執り行われ、半世紀以上の歴史に幕を下ろした「ジャンボ機」ことボーイング747。この機は、その比類無き収容力から海外旅行の大衆化に貢献したとされています。実は我が国では、この747の出現が、多くの国内空港における設備の発展にもつながったといえるかもしれません。
その昔、日本国内の空港には、第一種空港、第二種空港、第三種空港、自衛隊や米軍との共用飛行場などという区分がありました。なお現在では、国管理空港、会社管理空港、地方管理空港、共用飛行場など、設置管理者による種別となっています。
そもそも747は国際線を飛ぶために開発された旅客機です。しかしわが国では1970年代以降より、航空便の旅客がうなぎのぼりに増加する一方で、東京の空の玄関である羽田空港は、発着数の著しい制限がありました。
そこで、1便で多くの乗客を運べる747が国内線にも投入されるようになったというわけです。そしてこのことが、国内空港の様々な面に、変革をもたらします。
実はかつて、747が離着陸できる滑走路を有する国内空港は、かなり少数派でした。それは旧航空整備法における第一種空港。これは「国際線の運用可能な空港」と定義することができ、当時は羽田、伊丹、新千歳、福岡、沖縄の5空港が対象でした。
これらの第一種空港では、400トン近くの重量をもつ機体の離着陸が可能で、国内線用の747も離着陸できましたが、その他の空港では滑走路の強度が不足していたのです。
ただその後、747の国内線仕様機はこれら第一種空港へはもちろんのこと、それ以外の空港にも発着していました。そういった空港では747の就航にあわせるように滑走路を始めとする設備強化が図られたということもでき、日本の空港インフラの強化につながったといえるでしょう。
「航空整備法」ではなくて「空港整備法」では?