恋ヶ窪駅の「恋」とは? 実はホントの“LOVE駅” マイナスイメージも打ち破った恋の力

駅名に「窪」や「谷」を避けていた中あえて

 昭和初期以降、東京メトロを除く東京付近の私鉄各社は、駅名に小高い所を示す「○○山駅」や「○○丘駅」という名称を数多く誕生させたのに比べ、低い所や落ち窪んだ所を示す「○○谷駅」や「○○窪(久保)駅」という命名を行ってきませんでした。関連の不動産業と密接に関係して、沿線のイメージダウンを避けるためです。

 東急東横線の旧九品仏駅を1929(昭和4)年に自由ヶ丘(現・自由が丘)駅と改称したのがその代表例です。たとえば都内の私鉄の駅では代官山、久我山、梅ヶ丘、ひばりヶ丘など○○山駅や○○丘駅が多数ありますが、実は都内のJR(旧国鉄)にはそうした駅名が1つもないのが示唆に富みます。

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国分寺~恋ヶ窪間を走る西武国分寺線の列車。写真手前右がJR中央線線路。線路より低いこの一帯の低地が、恋ヶ窪の「窪(低地)」の由来(2019年5月、内田宗治撮影)。

 一方、○○谷駅や○○窪(久保)駅は、JRに鶯谷、市ケ谷、荻窪、大久保など、東京メトロに茗荷谷、雑司が谷など多数ありますが、私鉄には少数しかありません(渋谷などJRとのターミナル駅は除く)。私鉄について詳しく述べれば、糀谷、保谷、幡ヶ谷、雪が谷大塚などの○○谷駅がありますが、これらは全て大正時代以前、すなわち不動産業を強く意識する以前の開業です。東京の私鉄で谷や窪の付く駅は、いずれも1927(昭和2)年開業の祖師ヶ谷大蔵、世田ヶ谷中原(現・世田谷代田)、碑文谷(現・学芸大学)以降はありません。

 そうした中、都内で唯一の例外が1955(昭和30)年開業の恋ヶ窪駅です。西武鉄道では、田無町を1959(昭和34)年にひばりヶ丘へ駅名改称するなどイメージを重視していたのにもかかわらず、恋ヶ窪では低地を示す「窪」を駅名としました。「恋」という圧倒的に高イメージの語があるので、低いイメージの窪があっても問題なしとしたのでしょう。「恋」が当時の私鉄業界の慣例を打ち破ったわけです。

 前述の「姿見の池」は中央線の線路脇にあり、また車窓からも木々に囲まれた中、チラリと見えます。恋ヶ窪駅からは南に1kmほどの所となりますが、古の恋に思いを馳せながら訪れてみてはいかがでしょうか。

【了】

【え…!】写真が「恋ヶ窪」の由来です

Writer: 内田宗治(フリーライター)

フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。

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