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義貞の名まんまの駅「新田塚」
新田義貞に関連の深い駅がもうひとつあります。えちぜん鉄道三国芦原線の新田塚駅(福井県福井市)です。
討幕に成功し、政治の中枢に身を置いた新田でしたが、時は南北朝時代。南朝方である後醍醐天皇に付き従い越前国を拠点にしますが、1338年7月、新田は藤島の戦いで北朝の足利軍に敗北、戦死。遺体は長崎道場(現・称念寺:福井市)に埋葬されたといいます。
時代が下った江戸初期、付近で百姓が偶然にも兜を発見。兜は新田が身に着けていたものだと鑑定されます。その後、同地は「新田塚」と呼ばれるようになり、さらに時代が下った1924(大正13)年に、戦没地は「燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地」として国指定の史跡となりました。
現在は伝説を由来とした福井市の町名として、新田塚と新田塚町が存在します。なお新田塚駅から史跡までは徒歩10分ほど、史跡と称念寺は直線距離で7kmほど離れています。
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