江東・江戸川を走っていた戦前の「城東電車」とは 路線網の記憶いまも遺構に

街に眠る「城東電気軌道」の記憶

 都電時代の姿を知っている人にとっては、緑道に転用された区間以外はいずれも道路を自動車と共有する「併用軌道」だったと思いがちです。しかし実は、さらに昔の開業時点では、ほとんどの区間が専用軌道で建設されていました。

 これは当時、城東地区には併用軌道を設置できるだけの幅員を持った道路がなかったためです。関東大震災後、周辺郡部に跨る復興事業が進むと、現在の京葉道路(国道14号)や明治通りなど幅約22mの近代的な街路が整備され、1930年代にはその街路に飲み込まれる形で、順次併用軌道化されました。

 都電廃止時に際しては、鉄道整備が遅れた江東区の南北交通を確保するため、砂町線を中心とする一部路線の存続論が浮上したこともありますが、結局、全面的なバス転換が決定。併用軌道跡は亀戸緑道公園、大島緑道公園、砂町緑道公園に転用されました。大規模団地や高層マンションを縫うように緩やかなカーブを描く緑道には、ここにレールが敷かれていた面影を残しています。

 時代に翻弄されて消えていった城東電気軌道ですが、もしも大正期のうちに荒川放水路を越えて江戸川区、さらに千葉県方面に進出し、城東地区が専用軌道のままで改良していれば、東京東部のもうひとつの大手私鉄として生き残る道もあったのかもしれません。

【了】

【今はなき「城東電気軌道」のルートと遺構】

Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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コメント

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2件のコメント

  1. 興味深く拝読しました。ありがとうございます。

    画像キャプション

    江東区・荒川区を走っていた城東電気軌道(画像:江戸川区)

    この「荒川区」は「江戸川区」の誤りではないでしょうか。

    • ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。