バラストの代わりに金の延べ棒!? 本当にあった米潜水艦の“金銀輸送” フィリピンで決死の脱出劇

本来なら深海に沈める予定だった金銀

 フィリピンに進攻した日本軍は1941(昭和16)年12月下旬、首都マニラへ迫ります。そこで、マッカーサーは司令部をマニラ湾のコレヒドール島へ移し、自治政府のケソン大統領ら政府要人と共に退避しました。

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米比戦争でマニラを攻撃するアメリカ軍の砲兵(画像:アメリカ議会図書館)。

 なお、撤退時に通貨の処分を命じられた財務顧問ウッドベリー・ウィロビーによって、アメリカの通貨300万ドル、フィリピンの紙幣2800万ドル、小切手3800万ドルが廃棄されています。

 そして、年が明けた1942(昭和17)年1月2日、ついにマニラが陥落します。

 コレヒドール島にはマッカーサー以下のアメリカ軍だけでなく、ケソン大統領ほか自治政府の要人とフィリピン経済を支える財源も避難しており、その中には金の延べ棒320本(重さ20t)と大量の銀貨が含まれていました。これら金銀が敵である日本側に渡るのは避けねばなりません。なぜなら当時、世界各国とも経済活動の根幹をなす貨幣価値は金本位制を採っていたからです。ゆえに政府が発行する貨幣の信頼性は、保有する金の量で裏打ちされていました。

 マニラにある12の銀行に保管されていた金の延べ棒は、アメリカが約束した10年後の完全独立で、フィリピンの貨幣価値を保証するものだったのです。そのため、これらの金銀はアメリカ軍が降伏する事態に至った場合、深海に沈める手はずになっていました。

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