バラストの代わりに金の延べ棒!? 本当にあった米潜水艦の“金銀輸送” フィリピンで決死の脱出劇
潜水艦による金銀輸送は偶然の産物か?
そのようななか、アメリカ軍は日本軍に対して抵抗を続けるコレヒドール島に弾薬を運ぼうと計画します。ただ、戦艦を始めとして太平洋艦隊の主力が、軒並みハワイ真珠湾で大打撃を受けた直後のため、水上艦船による救援は見込みが立ちません。そこで目を付けたのが潜水艦を用いた隠密裏の輸送。白羽の矢が立ったのが新鋭艦「トラウト」でした。
1942(昭和17)年1月12日、潜水艦「トラウト」は船体の釣り合いを保つバラストの代わりに3500発の弾薬を積んでハワイ真珠湾を出発します。そして2月3日、無事にコレヒドール島の船着き場に接岸しました。
弾薬が陸揚げされると、本来ならバラストになる土嚢(どのう)か砂袋が積み込まれますが、コレヒドール島にはありません。そこで、土嚢や砂袋の代替物として使われたのが、前出の金銀で、有価証券や郵便物も輸送することになりました。
夜を徹して積み込み作業を終えた「トラウト」は、2月4日午前4時に財務顧問ウィロビーを乗せてコレヒドール島を出航します。昼間はマニラ湾の海底に潜み、夜になって日本側が敷設した機雷原を抜けて東シナ海へと脱出しました。
こうしてコレヒドール島出港から約1か月後の3月3日、真珠湾に帰還した「トラウト」は軽巡洋艦「デトロイト」に積荷を移し、任務を完了しました。
ただ、このときはまだ大量の金銀をアメリカまで運んできたことはあまり公になっていませんでした。「トラウト」による金塊の輸送がアメリカ国民のあいだに知られるようになったのは、真珠湾帰還から2か月半も経った5月25日のこと。「タイム」誌が報道したことが端緒です。
その後、「トラウト」は太平洋戦線で多くの日本艦船を沈め戦果をあげますが、1944(昭和19)年2月29日、南西諸島で日本の輸送船団を攻撃中に旧日本海軍の駆逐艦「朝雲」による爆雷攻撃で撃沈されています。
潜水艦による物資輸送は太平洋戦争後期に制海権を失った旧日本海軍がしばしば行ったほか、旧日本陸軍も輸送専用の潜水艦「三式潜航輸送艇」、通称「まるゆ」を造って独自に実施しています。しかし、実は太平洋戦争の勃発当初にアメリカ軍も同じ方法を用いていたのです。
ある意味で、アメリカ軍も考えるところは日本と一緒だったと言えるのかもしれません。
【了】
Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)
軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。
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