トイレやキッチンまで敵地へ投下! アメリカ傑作攻撃機A-1「スカイレイダー」初飛行-1945.3.18
第2次世界大戦終戦直前の1945(昭和20)年、のちに傑作機へと昇華する単発レシプロ攻撃機が初飛行しました。A-1「スカイレイダー」と名付けられた同機は後に様々なモノを吊り下げ敵地へ落としました。
多彩な地上攻撃任務をこなす「なんでも屋」
第2次世界大戦終戦直前の1945(昭和20)年、のちに様々な逸話を残すことになる、単発レシプロ攻撃機が初飛行します。機体名はA-1「スカイレイダー」、同機は元々、増えすぎた軍用機の機種を統合する目的で誕生しました。
第1次大戦直後から第2次世界大戦にかけて軍用機は、戦闘機、攻撃機、雷撃機、急降下爆撃機、夜間戦闘機といったように、任務ごとの専門性に特化した様々な機体が開発・運用されていました。陸上機であれば、まだそれほど問題はなかったものの、格納庫容積や飛行甲板の広さに制限のある空母艦載機となるとハナシは別です。あまりにも機種が増えると、様々な用途の航空機を少数ずつ載せる羽目になります。そこで、第2次世界大戦中、日米の海軍関係者はともに魚雷攻撃を専門に行う雷撃機と、急降下などで爆弾攻撃を行う艦上爆撃機を一機種に統合しようと考えるようになります。
その際、アメリカ海軍が雷撃と爆撃を両方できる機体として開発したのが、XBT2D 「ドーントレスII」、のちのA-1「スカイレイダー」でした。画期的だったのが、爆弾や魚雷は全て機体外部のハードポイントに搭載する形式をとったことです。
同機の最大の特徴は、単発のレシプロ機には類を見ない兵器搭載量(ペイロード)の高さでした。最大搭載量は3130kgにも達し、これは同じコンセプトで開発された旧日本海軍の「流星」が800kgであるのと比べ4倍近くもある数値です。単発機であることを考えると驚異的で、4発大型爆弾機のB-17にも迫るものでした。
そうした大容量を実現したのは、前述のハードポイントに加え、単発単座機としてはかなり巨体でありながら軽量な点、さらに、当時最も強力なエンジンのひとつだったライトR-3350「サイクロン」を搭載したからこそだったといえるでしょう。
搭載可能な武装も航空魚雷、2000ポンド(908kg)大型爆弾、小型爆弾、ロケット弾と、対地・対艦攻撃に必要なものが一通りそろっていました。加えて戦後にはナパーム弾やガンポットを搭載した例もあります。
エンジンカウリングと機体の間に段差があったり、ケツまでずんどうな形だったり、空力的に改善の余地がありそうなんだけど、これでベストなんだろうか。。。