世界最大の戦艦「大和」沈没-1945.4.7 航空だけではなかった“特攻作戦”

旧日本海軍の戦艦「大和」が1945年の今日、沈没しました。沖縄戦が始まり、その掩護のために艦隊を成して沖縄へ向け出撃しましたが、アメリカ軍の圧倒的な航空戦力を前に、作戦は失敗に終わりました。

「大和」は水上特攻として沖縄へ…

 1945(昭和20)年の4月7日は、旧日本海軍の戦艦「大和」が沈没した日です。「大和」は同型艦「武蔵」とともに、世界最大の戦艦として知られます。

 さて太平洋戦争末期であるこの時、すでに沖縄戦が始まっていました。絶対国防圏もとうにアメリカ軍に突破されており、太平洋の島々を発つ爆撃機によって、日本本土は連日 激しい空襲を受けていました。「大和」はこれ以上のアメリカ軍の侵攻阻止と自軍の掩護を目的に、4月6日、軽巡洋艦と駆逐艦8隻を率いて沖縄へ出撃したのです。

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1941年10月、高知県の宿毛湾沖で全力公試中の戦艦「大和」(画像:アメリカ海軍)。

 作戦としては、沖縄で艦を座礁させ砲台化し、アメリカ軍に砲撃を加えるというものでした。ただ、すでに制海権・制空権ともに喪失していた中、航空機の護衛がない艦隊が沖縄に到達できる見込みは非常に低いものでした。

 海上における当時の日本軍の戦法は、航空機に爆弾を搭載し、機体もろとも敵艦艇に突入する捨て身の戦法「特攻」が主体となっていました。これは「航空特攻」と呼ばれますが、対して艦艇を用いたものが「水上特攻」です。先述の通り生還はおろか到達する望みも薄い中、「大和」は特攻作戦に投入されたのでした。

【写真】戦艦「大和」の最期

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