世界最大の戦艦「大和」沈没-1945.4.7 航空だけではなかった“特攻作戦”
困難を極めた対空射撃
山口県の徳山湾を出撃して5時間、早くも艦隊はアメリカ軍の潜水艦によって動向を察知されます。攻撃を受けるのは時間の問題となりましたが、この日は交戦することなくそのまま翌7日を迎えます。
正午過ぎ、沖縄近海のアメリカ軍空母が発進させた艦載機の大編隊が襲来、艦隊は猛攻にさらされます。当日は低い雲が垂れ込む曇天。アメリカ軍の艦載機は雲間を縫うように攻撃を仕掛け、応戦する「大和」など日本艦隊は、対空射撃に困難を極めたといいます。
随行した軽巡洋艦や駆逐艦が撃沈されていきます。「大和」も回避行動をとりますが、魚雷や爆弾が次々に命中、戦死者も増大し、浸水により次第に艦の傾斜が増していきました。
2時間弱の戦闘の末、「大和」は12本の命中魚雷(防衛研究所戦史『沖縄方面海軍作戦』)や10発以上の命中弾を受けます。14時半前、とうとう「大和」は大爆発を起こしながら沈没。作戦は失敗に終わり、駆逐艦4隻のみが本土へ帰還しました。
基準排水量6万4000トン、全長263.4m、最大速力27.46ノット(約50km/h)。そして目玉の主砲も世界最大となる46cm砲を9門装備した「大和」は今なお、鹿児島県の坊ノ岬沖約200km、北緯30度、東経128度の海中深くに眠っています。
【了】
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