日米「艦隊決戦」はあり得なかった? 真珠湾攻撃もドーリットル東京空襲も“そうするしかなかった”理由
アメリカ以外とも戦わざるを得なくなった日本
この時期のアメリカは第2次ヴィンソン案や「二大洋艦隊整備法案」に基づく艦隊整備計画を進めていたものの、その主要艦艇はほぼ建造中でした。そのため、日本海軍と雌雄を決するために整備された太平洋艦隊から兵力を引き抜いて、ドイツへの対応を強化する必要に迫られたのです。
結果、太平洋艦隊とフィリピン所在のアジア艦隊を合わせても、日本海軍に対抗できる兵力を持つことが難しくなります。これを受け、アメリカ海軍上層部は「日本軍に袋叩きにされるわけにはいかないので、艦隊を西方には出せない」という結論に達しました。
このため、日本と開戦した場合でも「ウェーク島からのマーシャル諸島方面への航空攻撃」「ミッドウェー島からの航空索敵の充実」「重巡洋艦による偵察の実施」「潜水艦隊による通商破壊戦」をする程度で、日本艦隊が進撃してきた場合のみ、陸上航空機の支援が受けられるウェーキ島もしくはミッドウェー島近海に艦隊を配置して、航空支援下での艦隊決戦を挑むことに方針を変えます。
なお同時に、イギリスの要請を受けて、空母1、巡洋艦4を基幹とする艦隊をシンガポールに派遣して、アジアでの抑止力を高めようと考えていたものの、これについてはドイツ戦艦「ビスマルク」の奮戦などもあり、ドイツへの対応を優先すべきと見送られました。
一方、日本もまた、1940(昭和15)年に日独伊三国同盟を締結すると、それに端を発するアメリカ、イギリス、中国、オランダによるABCD包囲網を受けて、伝統的な作戦計画で想定していた、アメリカ1国との戦争が成立しなくなってきました。
石油などの重要資源をいち早く抑えるために、南方資源地帯の確保を想定したことで、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアの4か国と戦争する可能性を否定できなくなったのです。
南方の資源地帯を制圧している最中に、アメリカ太平洋艦隊の主力が日本近海まで襲来した場合、何重にも航空機や潜水艦、水上艦隊を配備して敵艦隊を減らしていく、いわゆる「漸減作戦」を実施するための兵力配備は不可能であり、別の作戦が求められるようになります。
コメント