日米「艦隊決戦」はあり得なかった? 真珠湾攻撃もドーリットル東京空襲も“そうするしかなかった”理由

旧海軍がハワイ攻撃に踏み切ったワケ

 日本海軍が中・大型空母の全力で、アメリカ太平洋艦隊の本拠地であるハワイ真珠湾を空襲する「ハワイ作戦」を立案したのは、「敵が集中している本拠地を攻撃する以外、出港したらどこへ向かうかわからない敵主力艦隊を叩く方法がない」からで、作戦実行前は「参加艦艇の多くを失いかねないが、やむを得ない」作戦だと考えられていました。

 結局、前述したように、真珠湾攻撃によってアメリカ太平洋艦隊の主力戦艦が軒並み撃破されたことで、アメリカは自分から艦隊決戦を仕掛けることが不可能となりました。そこでアメリカは、空母機動部隊で日本軍基地を空襲して離脱する「ヒット・エンド・ラン」攻撃を重視するようになります。1942年4月18日に起きた大型の陸上爆撃機を空母に搭載しての日本本土空襲、いわゆる「ドーリットル空襲」もそうした意味合いの作戦と言えるでしょう。

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1944年10月21日ブルネイ泊地にて。レイテ沖海戦に向かう前の戦艦「長門」(画像:アメリカ海軍)。

 他方で日本は、南方攻略後にアメリカ海軍主力が襲来したなら、艦隊決戦を挑む予定が、敵艦隊主力を撃破してしまったため、戦前には検討したことがないアリューシャン諸島、ラバウル、フィジー、サモアへの作戦を実施し、国力を越えた長大な補給線を抱え込む原因となりました。

 こうして見てみると、真珠湾攻撃がなくても、日米両海軍とも戦前に計画して訓練も重ねた「戦艦同士の艦隊決戦」の機会を得ることは、きわめて難しかったことがわかるのではないでしょうか。日米艦隊決戦と呼ぶべき、マリアナ沖海戦は基地航空隊と空母戦に終始したため、結局、戦争終結まで戦艦を中心とした日米艦隊決戦は起こらないまま幕を閉じました。

 ちなみに見方を変えると、日本については真珠湾攻撃がうまく行ったことで、その後の進撃作戦では補給線が伸びてジリ貧に陥ります。一方、アメリカは低速戦艦を潰されたことで、高速空母艦隊に有力な護衛艦艇を集められるようになりました。「好事魔多し」という言葉をかみしめると共に、歴史の皮肉を感じずにはいられません。

【了】

【カラー写真で記録】太平洋戦争末期、岩手県を砲撃するアメリカ戦艦「マサチューセッツ」ほか

Writer: 安藤昌季(乗りものライター)

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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