尺・貫・ヤード・ポンド…ぜんぶメートルにしろ!! トヨタ創業者がいなければカオスだったかもしれない“単位”の一大転換
自動車産業発展のために豊田喜一郎が動く
さらに、第1次世界大戦で直接的な戦場に日本はならなかったものの、その分、欧州で使われる物資の製造などを担当し、そこでも同様の問題が発生してしまいます。さらに第1次大戦後、大量生産の時代が始まると、この問題は国の産業発展の妨げにもなると、学界や産業界からの説得もあり、当時の原 敬首相も単位統一に動き出します。
原首相らが、海軍を説得してできたのが単位をメートル法に一本化する改正法「大正10年4月11日法律第71号 度量衡法中改正法律」でしたが、製造業の中には機械を買いかえたり、図面を全部引き直したりしなければいけない都合上、完全には不可能という意識が当時強かったそうです。
のちにトヨタ自動車となる豊田自動織機製作所も状況は同じで、1933(昭和9)年に自動車の製造を始めた頃は、さまざまな分野の職人が関わっていたため、ヤード・ポンド法や尺貫法を使っていた図面もあったそうです。しかし、当時社長だった喜一郎さんは、道具や工具、ゲージ類をすべて交換し、全図面を描き直すという大規模な改革を断行しました。
もちろん、途方もない費用や労力がかかる一大事であったわけですが、喜一郎さんは、自動車産業がいつまでも「インチ」で進むことは国家として非常な損失であると判断し、「いかなる犠牲を払ってでもメートル法にしなければ、将来の国民に対して申しわけない」と訴えたそうです。
その後、世間ではじょじょにメートル法が浸透していきます。古くからの単位もまた、お酒やお米などを測る単位である「合(ごう)」や家の大きさを表す「間(けん)」や「尺(しゃく)」などが残ってはいますが、公の場で使われる単位はおおむねメートル法で統一されていきました。現在、私たちが単位の取り違いなどで混乱しないのは、喜一郎さんや当時の経営者や識者の人たちが未来を考えて、愚直に動いてくれたおかげでもあります。
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Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
刈谷の豊田自動織機で製作されたAA型自動車はヤード・ポンド法で、トヨタ自動車工業を設立して今の豊田市にある挙母工場(今の本社工場)への移転以降はメートル法に切り替えたそうです。