現実に存在した「空中空母」って!? 期待も機体もビッグなのに「あっという間に廃れた」理由とは
発想は良かったが運用はそう上手くいかなかった
この空中空母の登場は、当時対米関係が悪化していた日本にも衝撃を与えることになります。ドイツの「ツェッペリン号」よりも大きく、しかも燃えないヘリウムガス搭載ということで当時の新聞でも、「日本近海に展開されれば重大な脅威になる」と報じられていました。
しかし、空中空母の運用自体は上手くいきませんでした。それは240mという巨体そのものに問題があったからです。洋上で運用するには風による問題が多く、1933年4月4日には「アクロン号」が突風による墜落事故を起こして、死傷者まで出してしまいます。
1935(昭和10)年2月12日には「メイコン号」も不時着事故を起こします。さらに1937(昭和12)年5月6日には世界最大の飛行船だったドイツの「ヒンデンブルク号」が爆発事故を起こします。度重なる重大事故により飛行船の戦力化には疑問符がついてしまい、結局、飛行船を利用した空中空母の運用は以後、計画されることはなくなりました。
同じ1930年代にはソビエト連邦でも「ズヴェノー」と呼ばれる計画が立ちあがります。これは、パラサイト・ファイター(寄生戦闘機)と呼ばれる、機体を翼に搭載した親子飛行機といった方向性のもので、爆撃機と護衛戦闘機の航続距離の差を解決し、爆撃範囲での直接護衛をさせるというプランでした。
早い話が『機動戦士ガンダム』のガウ攻撃空母みたいな発想です。ツポレフ TB-1を母機にして、パラサイト・ファイターを2機から5機搭載したこの機体は、1931(昭和6)年から1937(昭和12)年までのあいだに複数のタイプが試験飛行し、第二次大戦中には実戦でも投入されます。しかし搭載した戦闘機が無駄な重りになり、かえって敵に狙われやすくなってしまい、結局運用されなくなります。
戦後は空中給油機が発展したことで、戦闘機の行動範囲が伸び、これらの空中空母の代わりの発想として定着し、論議されることはなりました。しかし、2021年にノースロップ・グラマンが空中発射型無人機「ロングショット」を開発中との報道が出て、この空中空母が再び脚光を浴びています。この機体は輸送機や爆撃機のほか、戦闘機からの射出も考えられており、発想としては先祖返りしたといえるでしょう。
【了】
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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