なぜ車掌車は消えたのか 貨物列車の最後尾 中で車掌はどんな仕事をしていた?
転機は1984年のこと
こういった業務を円滑に行うため、貨物列車の最後部に車掌車を連結していたわけです。車掌車には机といすが装備され、車内で貨車に関する書類仕事ができるようになっていました。冷房はなく暖房はストーブのみ、トイレは1974(昭和49)年製造のヨ8000形式まで装備されなかったので、労働環境はあまりよくなかったようです。
ではなぜ、現代の貨物列車には車掌車が連結されていないのでしょうか。車掌は列車の運行責任者としての重責も負っていたはずです。
これは、1984年を境に貨物列車の運行形態が変化したためです。
同年のダイヤ改正以降、国鉄の貨物列車は旅客駅や操車場での貨物扱いを順次取りやめ、貨物駅間や工場間を直行する運行形式に変更されます。この運転方式では、途中駅で貨物を連結・解放しないので、車掌の書類仕事は必要なくなりました。さらにブレーキシステムや保安システムの進化により、これら保安業務も機関士1人で可能となって車掌が不要となり、貨物列車からは車掌車が外されました。
廃車となった車掌車は、その車体がローカル線の古くなった駅舎の代用として活用された例もあります。しかし最近はその車体も、老朽化や路線廃止などの理由で急速に数を減らしています。
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