「松阪―鳥羽」に「久留里線」!? ミャンマーを走る日本の車両たち 軍事政権前の光景【前編】
ミャンマー(ビルマ)の国鉄へ日本の中古車両が譲渡され、気動車が近距離輸送で活躍しています。しかし同国は2021年の国軍クーデターによって気軽に旅行できる国ではなくなりました。2018年3月、私が現地へ赴いた際の鉄道旅ルポを前後編でお伝えします。
この記事の目次
・非電化率100%のミャンマー 日本からは気動車が譲渡
・早速、ミャンマーの洗礼を浴びる
・方向表示器もカラーも日本時代のまま
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非電化率100%のミャンマー 日本からは気動車が譲渡
2018(平成30)年3月15日。成田発ヤンゴン行きNH813便のB767-300(JA626A)は順調に飛行し、日本を離れました。
私がミャンマーへの旅を考えたのは10代の頃です。1990年代に亡くなった祖父がインパール作戦・ビルマ戦線の生還者であり、凄惨な戦場話を聞いていたので、祖父の足跡を辿りたかったのです。
しかしビルマは、私が物心ついたときはビルマ連邦社会主義共和国であり、その後は軍事政権となってミャンマーへ国名を変更しました。観光目的の渡航はハードルが高いうえ、2007(平成29)年の民主化デモの際には日本人ジャーナリストが射殺される事件もあり、おいそれと旅に行ける国ではありませんでした。2010年代に入り、新政権となって民主化が進み、観光旅行のハードルが低くなったと感じるようになりました。
そして2003(平成15)年ごろから、ミャンマー国鉄へ日本の中古車両が輸出されました。もとの所属はJR、第三セクター、私鉄と多岐に渡りますが、ミャンマー国鉄は100%非電化のため気動車がほとんど。例外的にヤンゴン市内電車の計画があり、広島電鉄から路面電車が譲渡されました。
私は車両譲渡の報を聞き、なんとか祖父の戦跡巡りと鉄道旅を一緒にできないかと模索しました。とある旅人から、ミャンマーは民主化によってビザは必要だけれども比較的気軽に旅ができるようになり、禁止といわれていた鉄道撮影も可能だったとの報告を受け、私は重い腰を上げて旅に出ました。どうやら、鉄道撮影は黙認されているようです。
NH813便はミャンマー国内へと入り、ヤンゴン国際空港へ向けて高度を下げます。東南アジア特有のモヤッとした大気に包まれ、地面の色合いは土色です。この土の色は、祖父が戦地で苦しめられた土と同じなのかと感慨にふけっていると、か細い線路が見えて着陸しました。線路はヤンゴン環状線と呼ばれる、ヤンゴン市内のいわゆるJR山手線です。
入国手続きと税関を済ませます。祖父が1984(昭和59)年に慰霊の旅で入国した際は、税関がやたら袖の下を要求してきたという話を思い出しましたが、あまりにスルーで拍子抜けしました。政情が安定してきたのでしょうか。
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Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。