「そんなに速さを求めなくても…」なんてあり得ない!! タイパ重視の源流「超スピード時代」の鉄道 歴史は繰り返す
スピード時代「鉄道の象徴」だったのは
鉄道もこの頃、大きな発達を遂げます。それまで路面電車が主役だった都市に、次世代の交通機関として都市高速鉄道「地下鉄」が登場します。大隈重信は1917(大正6)年に「将来の文明は、平面式の文明から、立体式の文明にならねばならない」と説き、「飛行機とか地下鉄道とか云ふものが、地上に地下に縦横無尽に走るやうになった時にこそ、初めて真の文明は形造られるのだ」と予測しましたが、彼が描いた未来は早くも現実のものとなりつつありました。
もうひとつ、スピード時代を象徴する存在が1930(昭和5)年に運行開始した超特急「燕」です。それまでの特急「富士」の所要時間は東京~神戸間約11時間でしたが、「燕」は8時間20分。東京駅を9時に出発して大阪駅に17時20分到着、上りは大阪駅を13時に出発して東京駅に21時20分に到着しました。
下り「富士」は夜遅く大阪に到着。上りは7時台に大阪駅を出発し、夕方に東京駅に着きます。この他に寝台付き夜行急行もありましたが、いずれにせよ大阪出張には最低2泊が必要でした。それが1泊でも可能になったのは、さすがスピード時代です。
スピード時代の精神を体現するのが「流線形」です。それまでの蒸気機関車や電車はいかにも武骨な形状でしたが、スピードアップを意識した滑らかなデザインが世界的に流行します。日本でも特急用のC53形蒸気機関車を試験的に改造し、1934(昭和9)年登場の南満州鉄道の蒸気機関車パシナ型や、1936(昭和11)年に登場したEF55形電気機関車は流線形デザインを取り入れました。
電車でも、京阪神の急行電車(現在でいう新快速)向けに1936(昭和11)年に導入された「モハ52形」が流線形を採用。私鉄も時代を反映したデザインをこぞって取り入れました。
流行語としての「スピード時代」は昭和戦前期に終息しますが、スピードを重視する価値観は高度成長期にますます広がります。1964(昭和39)年開業の東海道新幹線は、その到達点のひとつだったと言えるかもしれません。
スピード時代への反省が見られるようになるのは、オイルショックが起こり、高度成長が終焉を迎える1970年代以降の話ですが、「タイパ」に注目が集まるということは、今もまだスピード時代が続いていると言えるのでしょう。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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