さよなら「ロナルド・レーガン」8年ごしの離日 アメリカ最大級の空母はなぜ“横須賀”へ?【前編】
横須賀は初の日本ではなかった!?
このように、いうなれば「改ニミッツ級」とでも形容できるほど改良が加えられた「ロナルド・レーガン」は、竣工後、約1年間にわたって大西洋側で訓練を行った後、2004年7月にカリフォルニア州サンディエゴに到着、太平洋艦隊の所属艦となりました。
初の実戦参加は「対テロ戦争」として位置づけられていたイラクにおける「イラクの自由作戦」とアフガニスタンにおける「不朽の自由作戦」の支援。「ロナルド・レーガン」は2006年2月22日から同年5月29日までの約3か月間、中東周辺の作戦海域に展開し、洋上の航空基地として各種作戦を遂行しています。
「ロナルド・レーガン」が初めて来日したのは2007年2月24日のこと。これはアメリカ海軍が策定した「艦隊即応計画(FRP)」に基づいて、従来、日本を拠点に活動していた「キティホーク」が定期整備を受けるため横須賀基地のドックに入渠している間、その戦力的な空白を埋めるため西太平洋に展開し、長崎県の佐世保基地に入港したものです。
この時の来日は、かなり短いものでしたが、「ロナルド・レーガン」は太平洋艦隊の所属艦として、その後も毎年のように西太平洋やインド洋に展開します。
そして2011年2月2日、「ロナルド・レーガン」は、中東方面へ作戦展開するために駆逐艦や潜水艦などと空母打撃群を組んでサンディエゴを出港。ただ、この海外展開で未曾有の災害に直面することになったのです。
【了】
Writer: 深水千翔(海事ライター)
1988年生まれ。大学卒業後、防衛専門紙を経て日本海事新聞社の記者として造船所や舶用メーカー、防衛関連の取材を担当。現在はフリーランスの記者として活動中。
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