「世界で最も危険な旅客機」とは? 大国の威信を賭け急いで開発→事故多発 「パイロットがヘタクソ」と一蹴!?
あまりに開発を急ぎすぎたせいで問題が頻発
初飛行から1年もしない機体を就役させるのは、第二次大戦時の軍用機でも希なことですが、Tu-104はフルシチョフの命令を実行すべく1955年11月6日から量産を開始しました。試験がまだ不十分ということでフルシチョフ自身は搭乗しませんでしたが、1956年3月には予定通りロンドンでの披露も行います。
そしてその年の9月には早くも国内線で就航することになりました。当時イギリスの「コメット」は事故を起こし運行を停止していたため、このときは、世界で唯一飛行しているジェット旅客機となっていました。
ただ、Tu-104は急いで作ったため様々な面で不完全となっており、飛行中は安定性を欠き、制御が難しい機体でした。油断すると、同機はローリングとヨーイングを繰り返すいわゆるダッチロール状態に陥りました。また低速時の安定性も最悪で、失速しやすかったため推奨速度以上のスピードを出して着陸を行っていました。
そのため、同機は軍用機のように着陸時に「ドラッグシュート(減速用のパラシュート)」まで展開していました。当然、現場のパイロットから苦情が噴出しましたが、なんとツポレフ側は「パイロットの腕が悪いせい」と一蹴してしまいます。
そして、問題はすぐに深刻な結果として現れます。Tu-104は早くも1958年に北京―モスクワ便で墜落事故を起こします。事故原因は、上昇気流に捕まり、制御不能な回転状態に陥ったためとされており、指摘されていた機体制御の問題が世界的にも周知されることになってしまいます。
同事故後に、様々な機体の欠点が修正されることになりますが、開発当時の設計の甘さは完全に修正することはできず、1986年に最後の1機が退役するまでの間、軍用機タイプも含め製造された201機のうち約5分の1に相当する37機がなんらかの事故で失われ、1137人が犠牲となっています。
そのため同機は「ソ連で最も危険な旅客機」と呼ばれているほか、同じく初期に問題が頻発したダグラスのワイドボディ機であるDC-10よりも事故率が深刻なことから「史上最も危険な旅客機」と呼ばれることもあります。
【了】
※一部修正しました(6月17日15時50分)。
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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