もし在来線が新幹線と同じ線路幅だったら? 日本の「鉄道の父」最大の後悔 国を揺るがした論争の顛末
日本の鉄道は多くが線路幅1067mmの狭軌を採用しています。これは鉄道開業時から続くものですが、明治期、1435mmへ改軌する動きがありました。どういう経緯があり、また改軌されていたらどうなっていたでしょうか。
イギリス人技師の提言で狭軌に
日本の鉄道の多くは狭軌と呼ばれる、線路幅(軌間)1067mmを採用しています。しかし鉄道の黎明期である明治時代、この幅を広げようとする動きがありました。
そもそも、日本人で初めて体系的に鉄道技術を学んだのは、幕末の長州藩士・井上 勝です。藩の命を受けイギリスに留学した井上は明治維新後に帰国し、1871(明治4)年に明治政府の鉄道部門長である「鉄道頭」に就任します。
江戸幕府は、鉄道建設をフランスやアメリカの協力で進めようとしていましたが、これは明治政府の成立で頓挫。明治政府は、幕府がアメリカに与えた江戸~横浜間の建設権を拒否しました。アメリカの計画は、経営権と土地をアメリカが持つ外国管轄方式であり、自国主導で鉄道を建設したい明治政府の認められるところではなかったのです。
これには、明治政府に影響力を持つイギリスの意向もありました。イギリス駐日公使パークスは、政府に「外国の資本や経営に依存しなくとも、日本の資本で鉄道は敷設できる」として、イギリスの技術援助で鉄道を建設できると説いたのです。民間資本による資金集めは上手くいきませんでしたが、そこはイギリスに借金することで鉄道建設が始まります。
イギリス人建設師長モレルは、明治政府に「線路の幅は?」と尋ねます。当時のイギリスには、植民地などの経済発展が遅れている地域では、本国の1435mm軌間(標準軌。広軌ともいわれる)よりも1067mm軌間の方が経済的という考えがあり、モレルは1067mmがよいと考えていました。
一方の井上も「標準軌で100マイル(約160km)建設するより、狭軌で130マイル(約209km)建設する方が利益がある」と考えました。「我が国のような山や川が多い地形では、建設費が安い狭軌に利益があり、標準軌は不経済」と考えたのです。
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