“国鉄イチ豪華”実は船だった!? 「青函航路」の栄枯盛衰 所要時間“新幹線並み”の民間船もいた!

強敵、航空機とフェリー現る!

 その間、青函連絡船は本州と北海道を結ぶメインルートであり続け、青森と函館では、列車から船へ、船から列車へ席を確保しようと走る乗客で「桟橋マラソン」と呼ばれたほどでした。青函連絡船が積み残しを出すほどの盛況だったことから、当時は7日前までだった座席指定券の発売が、青函連絡船関連のみ8日前から発売されたほどです。

 しかし、1973(昭和48)年に498万人を記録した年間利用客は、航空機とフェリーに転移し、1976(昭和51)年には400万人を割りました。特にこの年の国鉄が実施した50.4%値上げの影響は大きく、翌1977(昭和52)年は314万人と急落していきます。

 青函連絡船はイメージアップのため、1978(昭和53)年に喫茶室「サロン海峡」や麻雀ができる娯楽室を設置。船内には個室寝台や食堂のほか、国鉄一の豪華座席車であるクロ151「パーラーカー」と同じ座席のグリーン席、座席の普通席、カーペット席と多彩な設備を備え、「国鉄で最も豪華な乗りもの」といえるようなサービスを提供しました。

 それでも利用減少は止まらず、1986(昭和61)年は200万人台に。青函連絡船は青函トンネル開業によって1988(昭和63)年に廃止されましたが、現在でも函館港に「摩周丸」、青森港に「八甲田丸」が保存されています。どちらも保存船として船内見学でき、グリーン船室では座席に座ることもできます。

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青函トンネルを走り抜ける北海道新幹線(画像:photolibrary)。

 一方の民間船舶ですが、東日本フェリーが2008(平成20)年に高速フェリー「ナッチャンWorld」「ナッチャンRera」を投入します。この船は最大速力36ノット(約65km/h)で運航され、青森~函館間を最速1時間45分で結びました。

 これは青函連絡船の3時間50分を大きく下回り、現在の北海道新幹線を介した青森~函館間の所要時間とほぼ同じという超高速船でした。しかし燃料代の高騰で運航困難となり、津軽海峡フェリーが引き継いだものの、2012(平成24)年に運航終了しています。

【写真】豪華! 現代の青函航路のフェリー船内

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