アメリカ巨大戦艦の船体を「へこませた」日本からの攻撃とは? 今も残る“被弾”の痕

船体後部に見つけた小さな「へこみ」

 そんな「ミズーリ」には、船体右舷の側面に小さなへこみがあります。転落防止用の柵から少し身を乗り出してようやく確認することができるこのへこみ、実は太平洋戦争中に「ミズーリ」が被弾した際にできたものなのです。

 しかし、被弾したといっても、それは爆弾や砲弾というわけではありません。零式艦上戦闘機、いわゆる「零戦」によるものです。

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1945(昭和20)年4月11日、「ミズーリ」に突入する零戦(画像:アメリカ海軍)。

 1945(昭和20)年4月11日、沖縄本島への上陸を開始したアメリカ軍を援護し、空母を中心とする艦隊を護衛するため、「ミズーリ」は沖縄県沖合の海域に展開していました。すると、1機の特攻機(零戦)が低空飛行で「ミズーリ」の右舷後方から進入し、船体へと突入しました。機体の燃料には引火したものの、搭載していた爆弾は不発に終わり、「ミズーリ」乗員に大きな被害はありませんでした。

 一方、零戦のパイロットは戦死し、その遺体が「ミズーリ」艦上で発見されました。この報告を受けた「ミズーリ」のウィリアム・M・キャラハン艦長は、その栄誉を称えるべく、アメリカ海軍式の水葬を執り行うこととしました。

 翌日、乗艦していた海兵隊員による弔銃発射にあわせて棺が運ばれ、遺体の上には前日に乗員が手縫いした旧日本海軍の軍艦旗(旭日旗)がかぶせられました。そして午前9時、牧師による「遺体を海へ」の掛け声とともに、パイロットの遺体は海底へと沈められました。

 後の調査により、この時のパイロットは鹿児島県の鹿屋航空基地から出撃した石野節雄二等飛行兵曹であったと判明、享年19歳でした。これほどの若い命と引き換えに生じたこの「小さなへこみ」は、それから79年が経過した現在でも変わらず残され続けているのです。

【了】

【これが特攻の痕…】戦艦「ミズーリ」で見つけた痕跡(画像)

Writer: 稲葉義泰(軍事ライター)

軍事ライター。現代兵器動向のほか、軍事・安全保障に関連する国内法・国際法研究も行う。修士号(国際法)を取得し、現在は博士課程に在籍中。小学生の頃は「鉄道好き」、特に「ブルートレイン好き」であったが、その後兵器の魅力にひかれて現在にいたる。著書に『ここまでできる自衛隊 国際法・憲法・自衛隊法ではこうなっている』(秀和システム)など。

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