「見た目ほぼ戦艦ですよね?」 条約無視でどんどんデカくなった“重巡洋艦” ほら、やっぱり戦艦に間違われた
第一次世界大戦の敗戦で、軍備が制限されたドイツ海軍は、英独海軍協定締結後に再軍備を推進。こうして建造された軍艦のひとつが、ドイツ唯一の重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」級でした。
このままでは他国と肩を並べられない
ドイツは第一次世界大戦の敗戦後、ヴェルサイユ条約で天文学的数字の賠償金や、大幅な軍備の制限を課せられます。海軍も例外ではなく、保有できるのは旧式戦艦6隻、軽巡洋艦6隻などわずかな戦力で、新造艦も戦艦の代艦であれ、基準排水量1万トン、主砲口径28cm砲以下とされました。
同じころの日本戦艦「長門」は、常備排水量3万3800t、主砲は41cmでしたから、ドイツは他国戦艦と戦える軍艦建造は不可能だったのです。そのためドイツは1922(大正11)年のワシントン海軍軍縮条約以降、各国海軍で建造が進められていた重巡洋艦を建造できませんでした。
ただ、当時のドイツは黙っていません。のちに「ビスマルク」と誤認されるまでの大型巡洋艦を建造しています。
ドイツが最初に重巡的な軍艦を検討したのは、ドイチュラント級装甲艦でした。計画されたのは基準排水量1万トン、28cm砲6門装備、速力28ノット(約51km/h)の艦型。なお、重巡に近い艦型も検討されましたが、火力不足で不採用でした。
その後、ドイツはヴェルサイユ条約を破棄し、1935(昭和10)年にイギリスと英独海軍協定を結んだことで、諸外国並みの軍艦建造が可能となります。ただしそれを見越して、ドイツの重巡開発は1934(昭和9)年から開始されていました。フランス海軍の新型戦艦「ダンケルク級」(基準排水量2万6500トン、33cm砲8門装備、30ノット〈約55.6km/h〉)から離脱でき、重巡「アルジェリー」に対抗できる砲撃力、大西洋作戦が可能な航続距離が求められました。
当初案は基準排水量1万700トン、20.3cm砲8門装備、舷側装甲80mm、32ノット(約59.3km/h)でしたが、ドイツ海軍の総司令長官・レーダーは「攻撃力と防御力が不足」として却下。攻撃力は魚雷兵装と対空兵装強化、防御力は砲塔や弾火薬庫防御強化と、設計変更されます。
この結果、排水量が大幅に増大しました。当初案ですら条約制限を700トン超過していたのですが、設計変更後は1万4050トン(完成時は1万4454トン)と大幅に超過したのです。
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