消えた1万キロの鉄道網「もう一つの“国鉄”」とは? 日本が失った“縄文時代からの営み”

縄文時代からの営みは急速に失われた

 森林鉄道が急速に衰えたのは戦後に入ってからです。

 モータリゼーションが進み、1969(昭和34)年に「国有林林道合理化要網」が発出され、全国の木材輸送はトラックに切り替えられます。本州で最後まで残った王滝森林鉄道が廃止されたのは1975(昭和50)年のことでした。

 さらに安価な海外の木材が輸入され、日本の木材は売りづらくなり、石油の輸入により木炭も売れなくなりました。こうして、山の中で多数の人が働き、ローカル線にも貨物を注ぎ込んでいた林業も森林鉄道も消えていったのです。

 代わって建設されていった自動車向けの林道は、森林鉄道が幅2m弱の軌道で大量の木材を運べるのに対し、10m近くの幅を持つものも建設されました。急峻な日本の山岳では、道路幅を広めると山の斜面も大きくえぐられてしまい、斜面崩壊の原因になっているとも考えられます。

 海外では山から切り出した木材を鉄道が岸壁まで運び、そこから船で輸出する一貫輸送体制が出来上がっています。新しい技術で効率的な木材輸送が実現したら、日本の林業や中山間地も再生できないものかと筆者は思います。

まだある!現役の森林鉄道

 現役の森林鉄道は、屋久島の安房(あんぽう)森林鉄道のみで、それ以外は全て廃止になりました。一方、観光用に“復活”したものは、長野県上松町の赤沢自然休養林、北海道遠軽町の丸瀬布森林公園いこいの森、高知県馬路村の魚梁瀬などで見ることができます。

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高知県の魚梁瀬では森林鉄道の機関車の体験運転もできる(山田和昭撮影)。

 魚梁瀬森林鉄道のトンネルと橋梁は森林鉄道遺構として国の重要文化財指定を受けました。馬路村、魚梁瀬ではゆずと森林鉄道を村おこしのツールとして活用しています。観光や近代化の歴史教育にも森林鉄道は活用されているのです。また、各地の森林には二酸化炭素の吸収だけでなく、平家落人や修験者、木地師といった山の“文化”も息付き、神々しい姿はお金だけの価値では計れません。

 日本の国土の7割は山林ですが、そこで働く人はわずか0.03%。森林は十分に使われずに眠っています。縄文時代から守り続けてきた日本の森林資源が、かつては大活用されていたことを、森林鉄道の廃線跡は静かに物語っています。

【了】

【スゲ――!】これ全部「廃線」 凄まじい鉄道網だった森林鉄道(地図/写真)

Writer: 山田和昭(日本鉄道マーケティング代表、元若桜鉄道社長)

1987年早大理工卒。若桜鉄道の公募社長として経営再建に取り組んだほか、近江鉄道の上下分離の推進、由利高原鉄道、定期航路 津エアポートラインに携わる。現在、日本鉄道マーケティング代表として鉄道の再生支援・講演・執筆、物流改革等を行う。

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