「これ鉄道だ…」 高速道路に取り込まれた“廃線跡”今どうなってる? それは100年前の「埼玉高速鉄道」
“幻の鉄道”の稀有壮大な計画
武州鉄道は、もともと北は日光を目指していたといわれます。南は、当時赤羽に路線を延ばしていた王子電気軌道(現・都電荒川線)に接続する予定だったとか、貨物線を蕨駅へ延ばすつもりだったとも。
もし赤羽に達していたら、現在の埼玉高速鉄道に似た存在になっていたかもしれませんが、いずれにしても資金繰りが困難となり、神根という中途半端なところで延伸が途絶えてしまいました。
ちなみに、最後の延伸区間である武州大門―神根間に至っては、たった2年で全線廃止の憂き目を迎えています。
それでも、岩槻では現在の東武野田線(当時は「北総鉄道」)よりも早く開業した最初の鉄道でした。このため、野田線は交差部を立体にせざるを得ず、武州鉄道が廃止されると、野田線の「岩槻町駅」は早々に「岩槻駅」へ改称し、現在に至っています。
武州鉄道の廃線跡は、その後の開発により痕跡はほとんど残っておらず、今では航空写真でも、その跡がかなり分かりづらくなっています。
ただ、浦和料金所の北東にある神社に、「武州野田駅」の停車場道路開通記念碑が残っているほか、埼玉スタジアム北側の「笹久保駅」跡付近では、廃線跡の道路が中古車オークション会場の車両置き場として使われているという珍しい(?)利用法も見られました。また、岩槻市街の太田小学校には「岩槻駅跡(武州鉄道)」と書かれた看板が掲げられ、その事績を今に伝えています。
【了】
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