「北欧メーカー」がいつの間にやら「中国企業」に SAABのクルマ“涙の消滅劇” いま中古車高騰!
自動車メーカーとしてのSAABが打ち出した名車の一つが「サーブ900」。個性的なのに目立ちすぎない品の良さがあり、最近では中古車市場でも人気だとか。そんなサーブ900には、じつは涙なしには語れない歴史があるのです。
サーブ900が再注目されたきっかけは「映画」と「ブランド消滅」?
かつて存在した北欧の自動車メーカーSAABが生み出したサーブ900が近年、注目を集めています。中古車市場では、走行距離の多い個体でも軽く150万円オーバー。珍しく残っていた5万km以下の個体に至って500万円オーバーです。
サーブ900が近年、再び注目されることになったきっかけの一つが2022年に第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した映画『ドライブ・マイ・カー』です。ここで綺麗なサーブ900が劇中で大きな役割を果たし、サーブ900の黄金期を知る人たちはみな興奮。整備を担当したメカニックの方のところにまで取材が殺到するほどの影響力でした。
そして、もう一つのきっかけが、SAABが後述の変遷を経て2017(平成29)年にブランドが消滅したことのようにも感じます。SAABに乗っていた人はもちろん、ブランドに憧れを持っていた人の多くが残念がり、結果的に多くの人が潜在的にSAABを好きだったことを示す格好にもなりました。
もともとSAABは、1937(昭和12)年に軍用航空機の製造を目的としたスウェーデンの航空機会社(Svenska Aeroplan AB)が出発点です。第二次世界大戦中はサーブ17(単発偵察爆撃機)、サーブ18(双発爆撃機)、サーブ21(戦闘機)などがスウェーデン空軍に採用されました。
しかし、終戦後には軍需が著しく激減したことで、世界中の軍用航空機メーカーの多くがたどった流れと同様に、SAABもまた民需を求めて自動車製造を始めることとなりました。そこで、1947(昭和22)年にサーブ・オートモービルという自動車専門会社を設立したのです。
設立前後のプロトモデルである92001は軍用航空機で得た知見が生かされたものが多く、空力性能を活かした水滴型のボディ、強固なモノコックボディなどを採用。一方、北欧のスウェーデンらしく、雪上走行を考慮して車体底部にカバーを施すなど、他メーカーにはない独創的な構造を持っていました。
後に、この92001はサーブ92の名で1950(昭和25)年に発売されます。戦闘機の塗料を流用したため、カーキ色の塗装でした。
そして1967(昭和42)年には後のサーブ900の前身的モデル、サーブ99を発売。さらにその10年後の1977(昭和52)年には量産市販車では世界初のターボエンジンを搭載した99ターボを発売。世界中の自動車メーカーの度肝を抜き、特にアメリカで大ヒットし、1984(昭和59)年までのロングセラーを果たします。
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