『スターウォーズ』がない世界って…「生みの親」の人生に大きく関与したイタリア車とは? 大事故が転機に

自動車事故で大けがしたことが転機に

 しかし、思春期のルーカスはそれでは我慢ができません。イタリアからパーツを取り寄せては、自宅のガレージにこもって改造に勤しみ、愛車が仕上がると地元の仲間たちと夜な夜なストリートをクルーズしたり、休日にはアマチュアレースに参戦したりして腕をふるっていました。

 ただ、この「ビアンキーナ」が若きジョージ・ルーカスの運命を変えてしまいます。高校卒業を間近に控えた1962年6月12日、いつものように愛車を運転していると、側面から別のクルマに突っ込まれたのです。この事故で「ビアンキーナ」は横転大破し、彼はシートベルトが引きちぎれたことで車外へと投げ出されて全治4か月の大けがを負いました。

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ジョージ・ルーカスの出世作となる『アメリカン・グラフィティ』でポール・ル・マット演じるジョン・ミルナーの愛車となったフォード「5ウィンドウクーペ 」のストリートロッド。この映画はルーカスの青春時代の実体験が元になっている(山崎 龍撮影)。

 入院生活を余儀なくされたルーカスは、この事故ですっぱりとレーサーへの夢を諦めます。代わりに目指すようになったのが映像制作でした。幼い頃に好きだったテレビの冒険活劇、とくに夢中になった『フラッシュ・ゴードン』のようなSF作品を作りたいと考えるようになります。

 こうして新たな夢を見つけた彼は、退院後、父親の反対を押し切って南カリフォルニア大学に進学。そこで映画を学ぶと在学中に『電子的迷宮/THX 1138 4EB』というアマチュア映画を制作します。この作品は1967年度全米学生映画祭グランプリなどを受賞したこともあって、1971年に『THX 1138』としてリメイクされ、ルーカスは商業映画監督としてデビューを飾りました。

 この作品は商業的に失敗してしまいますが、これにより映画人として進退極まった彼は、次回作に自身の「ビアンキーナ」との日々をベースにした『アメリカン・グラフィティ』を制作。1973年に公開されると世界的な大ヒットを記録して「青春映画の金字塔」との評価を得るほどになりました。

『アメリカン・グラフィティ』の成功がなければ、おそらくルーカスは『スターウォーズ』を手掛けることのないまま映画業界を去っていたことでしょう。言わば「ビアンキーナ」は映画監督ジョージ・ルーカスを誕生させるきっかけとなったクルマでもあるのです。

【了】

【写真】これがジョージ・ルーカスを夢中にさせた「小さな高級車」です

Writer: 山崎 龍(乗り物系ライター)

自動車やクルマを中心にした乗り物系ライター。愛車は1967年型アルファロメオ1300GTジュニア、2010年型フィアット500PINK!、カワサキZX-9R、ヤマハ・グランドマジェスティ250、スズキGN125H、ホンダ・スーパーカブ110「天気の子」。著書は「萌えだらけの車選び」「最強! 連合艦隊オールスターズ」「『世界の銃』完全読本」ほか

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