快速通過でも「7年連続」No.1! 千葉で利用者数トップを誇る総武線駅はなぜ「覚醒」したか 下剋上の半世紀
JR西船橋駅の利用者数は、開業当初は少なく、隣の船橋駅と比べると大きな差がありました。しかし現在は僅差で上回るまでに。なぜ西船橋駅はここまで大きく発展したのでしょうか。
なかなか埋まらなかった両駅の差
JRの船橋駅と西船橋駅、利用者が多いのはどちらかパッと答えられるでしょうか。2024年度の1日平均乗車人員を見ると、船橋駅が12万9427人、西船橋駅が12万9904人で、なんと477人という僅差で西船橋駅が上回っているのです。
船橋駅は1894(明治27)年7月、総武鉄道(現在の総武本線)開通とともに開業した歴史ある駅ですが、西船橋駅は戦後、1958(昭和33)年に開業した比較的新しい駅です。
なぜこの時期に西船橋駅ができたのでしょうか。当時の鉄道業界誌によると、中山競馬場の最寄り駅を作ってほしいと地元が長年要望してきたようで、船橋市の請願駅として市が建設費4900万円全額を負担して設置したとあります。
今ではより近い武蔵野線船橋法典駅が中山競馬場の最寄り駅ですが、西船橋駅からも直線1kmなので違和感はありません。ただ当時、東京周辺都市の宅地化が急速に進んでいた状況を考慮すると、海岸線が近い船橋駅周辺ではなく、発展余地の大きい西船橋を開発したいという本心が市にあったのではないでしょうか。
西船橋駅が開業した1958年の乗車人員はわずか2000人で、約3.4万人だった船橋駅と比べると大きな差がありました。それでも住民が新駅を歓迎し、深い愛着を抱いたのは、1966(昭和41)年に駅の略称である「西船」を町名に採用したことから伺えます。
そんな西船橋駅の地位を一気に押し上げたのは、1969(昭和44)年の地下鉄東西線延伸開業でした。
1960年代に入ると高度経済成長とともに鉄道利用者は急増し、総武本線などは混雑率300%近い混雑が常態化します。国鉄は1965(昭和40)年に主要路線の複々線化「五方面作戦」を決定。総武線の錦糸町~津田沼間複々線化と東京~錦糸町間の新線建設、そして東西線との直通運転に着手します。
複々線化前の総武線は、私たちが知る姿とは全く異なります。準急や急行など中長距離列車は両国発着(一部新宿発着)、近郊電車は千葉から御茶ノ水経由で中央線各駅停車と直通する各駅停車のみでした。
それが東西線全線開業にあたり、西船橋~東陽町間無停車の快速列車が新設され、西船橋~日本橋間はわずか20分に短縮されます。また、西船橋から津田沼まで直通運行を開始したことで、西船橋以遠の総武線ユーザーの多くが東西線経由に切り替えました。こうして1970(昭和45)年度の乗車人員は船橋駅が約7.1万人に対し、西船橋駅は約5.3万人まで迫りました。
一方、船橋駅は1972(昭和47)年に錦糸町~津田沼間の複々線化、東京駅乗り入れ工事が完了し、総武快速線の運行がスタートします。これにより津田沼~東京駅間が30分に短縮しました。1971(昭和46)年度から1973(昭和48)年度にかけて、船橋の乗車人員は約7.8万人から約10.5万人まで増加しましたが、西船橋は約7万人から約6.3万人に減少。再び格差が広がりました。





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