道路工事で「線路が出てきた!」見学会に2000人 あふれだす60年前の記憶
送電線のスパークが、雨に濡れた路面に青く光っていた
新宿区に在住の75歳の男性は、学生時代から都電を利用していました。白鳥橋を通過する路線もよく利用したそうです。
「あの路線は新宿区早稲田から台東区厩橋(うまやばし)を結んでいて、上野に行くのによく使ってました。今は白鳥橋の上を首都高速が走って日陰みたいになってるけど、首都高速の高架ができる前(1662年以前)は、見通しもよくていい雰囲気の曲がり角だった」
男性が使っていた当時の都電は片道15円でした。
「自分が使っていた頃は、珍しい往復券というのがあって25円。乗客が乗り終わると、車掌がひもをひっぱってチンチンって鈴を鳴らして運転士に知らせる。バスは女性の車掌が多かったんだけど、都電はなぜか男性の車掌ばっかりだったなあ」
新宿区側から文京区側に白鳥橋を渡ると、都電は徳川家康の生母が眠る菩提寺「伝通院」へと安藤坂を上ります。男性は今でも思い出すと言います。
「雨が降ると、車輪が滑るのか都電が安藤坂を上るのがたいへんだった。電車の屋根についている集電装置がパンタグラフじゃなくて、竿を伸ばしたようなトロリーポールで、電線と触れてスパークして、青白い光を濡れた水たまりに反射させてた」
57年前に閉ざされた敷石とレールの出現が、住民の記憶をも呼び起こすことになりましたが、都電と自動車を支えた白鳥橋は、11月中旬にも撤去される予定です。第六建設事務所は、発見された敷石とレールを研究や展示などの用途に限り、第三者に譲り渡すことにしています。前述の担当者が話します。
「都電の敷設当時は製鉄技術がなかったせいか、レールを輸入していたようです。研究者がレールのサイドに刻まれたロールマークと呼ばれる文字や数字を調べることで、製造国や企業、製造年月、重量などがわかるほか、成分などを調べる材料になるようです。そのほかにも博物館での展示でもお使いいただけると思います」
希望する研究者は東京都建設局のウェブサイトから連絡するように呼びかけています。
【了】
Writer: 中島みなみ(記者)
1963年生まれ。愛知県出身。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者を経て独立。行政からみた規制や交通問題を中心に執筆。著書に『実録 衝撃DVD!交通事故の瞬間―生死をわける“一瞬”』など。
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