日本海軍「最強戦闘機」の展示館が一新へ! 国内に1機だけの激レア機を保存 完成はいつ?
そもそも「紫電改」ってどんな戦闘機?
「紫電改」は、基地の防空などを担当する「局地戦闘機」として開発されました。水上戦闘機として開発された「強風」からフロート(浮舟)などを取り去り、陸上機に改めた「紫電」を、さらに大幅に改良した機体で、太平洋戦争中の1942年12月27日に初飛行しています 。
ベースとなった「紫電」は、原型といえる「強風」とそれほど機体構造を変えていなかったため、胴体中央部に主翼が取り付けられている中翼構造であり、陸上機として効率的な機体構造になっておらず、トラブルが多発していました。そのため、「紫電改」は胴体下部に主翼を設ける低翼構造に変更。機体も「紫電」よりスリム化し、量産性を考慮して部品点数を大幅に削減するなど、別ものと言えるほど手が加えられています。
「紫電改」は1万機以上が生産された「零戦(零式艦上戦闘機)」と異なり、生産機数は約400機にとどまっています。その多くは松山基地を拠点とした第343海軍航空隊に集中配備され、西日本などに飛来した米軍機の迎撃戦に投入されました。
日本軍が実戦に投入できた数少ない2000馬力級戦闘機で、所定の性能を発揮できれば、当時アメリカ海軍が主力としていたF6F「ヘルキャット」やF4U「コルセア」といった機体にも対抗可能でした。日本海軍は「紫電改」に大きな期待をかけており、戦争末期には大量生産計画を立てますが、途中で終戦となっています。
【了】
コメント